sketch/2016.1.2【春よ来い】

 米軍のお膝元、瑞穂。巨大なホームセンターが鎮座するこの町は、大瀧詠一が晩年を過ごした町だ。大瀧さんが息を引き取ったあの日も、私は今日と同じように、このホームセンターにいて、年の瀬の夕暮れを横田基地を見下ろす屋上駐車場で見ていた。


 そこそこ外国人も多く、輸入建材などに囲まれていると、クリスマスイブの西武園とはまた違った異国情緒に触れる事が出来る。いつものように、バカでかいフードコートの片隅にあるドトールでアメリカンをすすっていると、また良からぬ思考が渦巻いてくる。


『この国は、アルファベットに支配されてどのくらいだろうか。』


 そして銀色のPCを開く。資材コーナーの片隅には木材を満載した私のショッピングカートが放置してあるのだが、許して頂きたい。私は文筆家なのだ。MacBook Airは肌身離さずなのだ。


 さて。


 第二次大戦後、日本は公に植民地という体裁ではなかった。諸説によると、日本の政治と経済は常にアメリカの意向が反映されて来たという。それを当然とするならばこの国はいったい何なのだろうか?


 『さながら植民地政策の進化系が、この日本という国の正体だと思わざるを得ない。』


 新年から縁起が悪くて、申し訳ない。


 戦後の日本は確かに素晴らしい復興を遂げた。映画やドラマでも、その時代を輝かしく讃えているし、実際良い時代だったのかもしれない。そして、バブル経済は私の住む小さな町にも恩恵をもたらしていた。


 祖父の営むスーパーマーケットは連日の大にぎわいで、夕方の店内は歩くのも困難であった。そうして私は、小説家の子供でありながら、小説家の子供らしからぬ、お金には不自由の無い人生を歩む事が出来た。父の直木賞の恩恵よりも、バブル経済の恩恵の方が遥かに私の人生を潤してきた。


 さてと。


 決していい気分ではないのだが、この国を家畜に例えさせて欲しい。羊としておこう。羊飼いはアメリカだ。この国は逃げ惑う羊と同じで、追いかけられもするが、守られていもいる。時には愛でられもする。結局逃げ切れずに毛刈りが始まり、そのあとはラムッチョップにされる。


 要するに、育てられ、収穫され、殺され、食べられる。それはそのまま、高度経済成長、バブルの崩壊、そしてTPPに当てはまる。実に良く出来たシナリオだ。そして壮大な70年であった。そうして、今度は新しい羊達を探しに、再び戦地へ放たれようとしている。


 ここで、おかわりしたアメリカンをすする。ドトールのBGMはなかなか良い。


『大瀧さんは晩年、どんな事を考えていたのだろうか。瑞穂の自宅で、弾き語りくらいはしていたのかな。聴きたかったな。ここのドトールにも来た事があるかもな。』そんな思いもちらつく。そして店内のBGMに乗って私の空想紀行は続く。


 御上達のする事は’’どうかしている’’とは思うが、私たちはすっかり豊かだから攻撃的にはなれない。ピースマークを掲げたデモなんか、彼らは恐れていない。【豊かさは最高の餌】だと彼らは知っている。衣食住には困らない。アコムだってプロミスだってあるのだ。私などは意気揚々と霞ヶ関の階段を上ったが、デモの時間を間違えてしまう有様で、挙げ句の果てには足を運んだ事自体に満足している始末である。


 戦後70年を経て、この国はまだまだ放牧中の羊ちゃんだ。国会に向かって叫んだ私の声も、さっきまでいたはずのデモ隊の声も、羊飼いには届かない。「メーメー、メーメー」と訴えるが、届かない。というか、そもそもの矛先が違っていそうだ。残念ながら、国会の中に羊飼いは居ない。


 冷めたコーヒーをすする。すっかり日が暮れ始めている。この倍の倍くらい書いたが、まとめきれないし、私のカートも木材も撤去されていないか心配である。そして、こんなでっち上げ紛いな事を書きなぐったところで、誰もいい気分はするまい。でもいいのだ。私は表現者でもあるのだ。


 


 大瀧さんが息を引き取ったあの日の夕焼けは綺麗だった。12月の日没は5時頃だから、きっと大瀧さんが逝く少し前かな。横田基地の向こうに沈む夕陽は、大瀧さんの刻む最後の時を、美しく照らしていた。


 「春よ来い」


 大瀧さんのシャウトを勝手に深読みして、ぐっとくる。