sketch/2016.1.31【禿げ疑惑】

 「笹倉さん、禿げてますよ。」


 分け目が白いのが、彼の言うハゲらしい。


 私はデコが広いし剛毛な方では無く、猫っ毛でもあるため、二日も髪を洗わなければ頭はペタンコになる。そんな時は気になるので帽子をかぶる事にしているが、昨日は風呂に入っているし今日の髪も自己採点ではふんわりとしている。にもかかわらず、ハゲとか言われるとムカッとくる。というか、動揺する。


 父親は確かに禿げているが、私は母親似だ。ハゲの隔世遺伝でよく言われる母方の祖父は、晩年もふさふさであった。しかし、ここ最近の私は頭皮に良くないとされる長髪で、さらに髪を結っている。ただでさえボリュームのない髪質に追い打ちをかけるような髪型なのだ。


 その場に居合わせた人間も、その一言のお陰で一斉にこちらを見る眼差しが変わり、私はますます動揺を隠せない。一人二個ずつのはずの納豆巻きも、動揺の為、三個目に手を出してしまい、さらにヒンシュクを買う始末だ。


 「○山◎×もハゲだよね」とか一人が言い出す。私は彼がハゲだなどとは一度も思ったことは無いが、画像検索をすると、そう言わんとする人の気も分からないでも無い。


 少なくとも、今日の食卓を囲んだ三名は私の事をそんな眼差しで見始めている。


 ちらとカウンターに目を向けてみる。いつもの板前さんにはこちらの会話は聞こえていない様子だが、アフロのボリューム感がまぶしく、今夜もブッダのように神々しい。いや、この場合は仏々しいなのか。まあ、とにかくそんな感じだ。


 夜道を歩く。


 「ねぇ、ハゲなの?」


 連れが私をからかうのだが、それはそれで幸せな夜道である。

sketch/2016.1.30【居場所】

 東北自動車道を北へ。去年の今頃は温泉街のフェスへ向かっていた。ちょうど今日はそのフェスが行われているはずだ。『今年は呼ばれなかったな』などと放心していると、分岐を間違え途方も無い遠回りをすることに。


 辿り着いた場所の三角屋根は別荘のような佇まい。雪の積もった白い庭。雑木林を望む窓。部屋の隅々に目をやると、私をどんな気持ちで迎えてくれているのかが分かる。


 彼女はいつか私に言った。「人をもてなすってことは、その人の居場所を作ってあげることでもあるんじゃない?」と。なんだか腑に落ちる言葉だった。


 東北自動車道が圏央道と接続し、入間市まではあっという間である。インターそばの銭湯につかりながら、湯気の中で考え事をしたり、サウナの中で見る久しぶりのテレビCMに『ベッキーは商品なんだもんな、』などと、のぼせた頭に時事ネタを巡らす。


 外へ出ると息が白い。


 夕食をしながら話をする。『居場所』という響きが、少しずつ、しんしんと積もっている。

sketch/2016.1.29【開き直る】

 雨の夜。雪の予報は解除され、明日は少し遠くに出かける。始めての場所や人と会う短い旅だ。車の調子はまずまず良さそうだが、相変わらずワイパーの動きが鈍い。スタッドレスタイヤにしたばかりなので雪道でも問題ない。


 「30歳までだよ」とか「いつまでも夢を追いかけているんじゃないよ」とかいう言葉に敗北しながら、私はせっせと世間体ばかりを気にかけて来た。ミュージシャンだという自己紹介は気が重く、この数年も、初対面の人には出来るだけ伏せるようにしていた。


 ギターを担いで歩くのが誇らしかった10代、白い目が気になり出した20代、出来るだけ隠したい30代。開き直るのもいいかもしれないと感じる、34歳と10ヶ月。

sketch/2016.1.28【春風】

 溶けない雪の塊が町のあちこちに堆積し、そのほとんどは除雪されたものだ。黒く汚れている。はっぴぃえんどの『しんしんしん』という歌にあった描写が浮かぶ。大雪の後は決まって春の陽気が訪れたりするのだが、凍て返すのも決まっている。ハウスの室内はなかなか気温が上がらないが、外は暖かくいい天気。


 春風のように舞い込む文筆の依頼と、新しいスタッフ。この頃は、何でも少しずつ、少しずつ。


 夜道を歩けば、大好きな蠟梅の香り。

sketch/2016.1.27【私の価値】

 私はシンガーソングライターである。歌いたい事を歌うだけだ。そんなわがままな表現でお金を頂く仕事に、私はずっと疑問を抱いていたが、向き合うと面倒なので放置していた。手の怪我もあり、歌ともギターとも少し離れていた間、少し向き合ってみた。


 正直、私の人気は国民的に見ると無いに等しいので、地方で興行を打っても閑古鳥が鳴く。金になるかも分からない興行を打つなど、行く先々のカフェやライブハウスに申し訳が無いし、私自身が辛い。


 そして、人気を得る為にライブをし、動員を増やすなどの涙ぐましい努力は、私の表現とは無縁であり、全くの茶番である。


 正直なところ、私は音楽で生活していきたい訳ではなく、歌を続けたいだけだ。その為に沢山の肩書きを持ち’’生活する為の歌’’から逃げ果せているのだ。生活する為の歌は、私の歌ではない。


 ただ、この世でそれが金に換えられるのであればそうさせて頂く。それだけだ。随分偉そうではあるが、そのくらいの自負が無ければ、もともと人前で歌など披露するはずがない。どんなに謙虚な事を言おうが振る舞おうが、表現をして金を得る人間はそのくらい図太いと思っていい。


 オファーが途絶えるのであれば、それが私の価値である。そして、お寿司のくだりはふざけているようで本気だ。これまで、本当に優しい人達に恵まれ、信じられない程に幸せなおもてなしを受けた。ギャラなんか無くても、その人達が大好きだし私はこれからも身銭を切ってでも会いにいくだろう。小豆島なんかは金を払ってでも行く。高知もそうだ。半分遊びにいくようなものだ。


 そして、そのおもてなしのお陰で、私はもてなされる喜びを知り、私もまた人をもてなす喜びに目覚めた。guzuriがここまで来れたのもそのお陰さまだ。


 今回、演奏の価格公開に踏み切った最大の理由。それは、もっとオファーが欲しい。そして、私を求めて欲しい。そういう意思表示だ。


 私は社会的には随分と大人だし、不動産のデベロッパーや銀行マンとだって対等に話が出来る。


 しかし私は未だに、表現に対しては砂場で遊ぶ子供のようだ。手を出すと怒るが、見ていなくても機嫌を損ねる、どうしようもない子供だ。


 そして、しつこいようだが、お寿司のくだりは本気である。うなぎでもいい。


 私のユーモアだと思ってくれてもいい。

sketch/2016.1.26【一日のはじまり】

 久しぶりのモーニング。手を震わせながらサーブする新人のウエイトレス。そのうしろに教育係。私は朝からとても優しい気持ちになる。


 喫茶室で新聞を広げる姿が好きだ。紙のめくれる音とか、経済欄を小難しい顔で読むお年寄りの眉間の皺とかに、なんとなく安らぐ。スポーツ紙であれば、アダルトな紙面に目をやっている時の表情にも共感を覚える。タブレットも増えたが、まだまだ喫茶室の新聞紙は健在だ。どうか絶滅しないで欲しい。


 新人ウエイトレスの右往左往の向こうの窓には、雲一つ見当たらない空。


 今日が動き始めている。

sketch/2016.1.25【心地よい乾杯】

 遠い場所からのオファーに、どうすれば私にも向こう側にも得が生まれるかを一緒に考える。何百キロも離れた場所の男と30分も長話をする。だいたい世間話だが。


 彼が私を理解しようと努め、私が彼を理解しようとしている関係は心地よい。


 そうやって場所を作りながら生きていると、儲けなどどうでも良い気分になってくるのだが、他人を不幸にする訳にはいかないという思いが私を踏み留まらせる。


 いい顔をしながら人を裏切る人間を知っているので、そうはなりたくないと思うが、『誰かにとっての私はもしかしたら』と想像すると尚更に。


 一緒に時間を過ごした相手とは、心地よい乾杯をしたい。

sketch/2016.1.24【大儲けまでの】

 冬至を挟んで冬の始めと終わり頃。日の入りの前のほんの僅かな時間だか、西日が美しく差し込んでくる。毎年の事だが、今年は特に美しい気がする。


 開店と同時になだれ込んで来た客足も落ち着き珈琲をすすっていると、あっという間に日が暮れる。外はもしかしたらこの冬一番の寒さではないだろうか。今年のguzuriはきっと、もっと良くなる。そんな話をしながら暖をとる。


 そして私はFor Freeを目標に掲げながら、もっとはっきりとした立場をとっていくだろう。まずは自分に値段をつけ、その価値を汲んでくれる場所に歌を届けよう。いよいよ値段公開に踏み切る構えだ。


 私が聴いて欲しい時と、誰かが私を聴きたい場合では全くもってモチベーションが違うから当然なのだが、それも過程だろう。


 大儲けまでの。

sketch/2016.1.23【For Free】

 いつか、私のライブはフリーだという形を作りたい。それが私の表現に沿う方法だと思っているし、なんだかんだ人に喜ばれると嬉しい。一日中PCの前で音楽の編集作業をすることも、仕上がりを楽しみに待つミュージシャンがいるから出来る。


 今はそれらを生業にしているが、他の事業で大儲けできたとしたら、私は喜んですべてを無償にするだろう。そして私はとりあえずハワイへ行くだろう。


 そういえば先日、友人に電話をした。フリーライブをさせて欲しいという電話だ。彼に聴いてもらいたいし、私がそうしたいと思っている。


 そして私は今、もう一度、街角で歌いたい。どこかの街角で誰も知らない新しい曲を歌うのだ。


 駅前の時計台の下が初めてのステージだった。今でもあの夜の事は思い出せる。酔っぱらいがやってきて、開いてもいないギターケースに五千円札を押し込んできた。私は神に誓って金が欲しかった訳ではないのだが、翌日は友人に自慢した。


 17歳の冬、初めてのステージが街角だったことは、我ながら誇らしい。そしてこれからは、少しずつだが戻っていきたい。


 for freeに。


 もちろん大儲けもしたい。

sketch/2016.1.22【初営業日】

 公園はまだ雪景色だ。人気の無い平日の午後。


 とっちらかった一つずつから手を付ける。一つの事が片付いても、その皺寄せは確実にどこかへ、を繰り返す。


 私だけが使いやすい場所から、さらにゲストの為の場所へシフトしてゆく。結果、私にも使いやすくなるので気分は良い。


 珈琲を飲みに来る人や、レコーディングの下見に来る客人をもてなす。guzuri珈琲店もレコーディングハウスも、2016年初営業日。

sketch/2016.1.21【雪かきは嫌い】

 雪かきは嫌いだ。みるみる汚れていく雪を見ているのが嫌いだ。だから私は雪かきをしない。歩く場所だけあればいい。必要以上に雪かきをしている人が不思議でたまらないが、そんな道を私は車で走り去る。心苦しいが、嫌いなものは嫌いなのだ。

sketch/2016.1.20【アメリカ村の夜】

 アメリカ村の夜は静かだ。店舗も無く、住宅街に徹している。どこかの某米軍ハウスのように、ドラムの音やら夜通し歌いっぱなしの声なんかは聞こえて来ない。


 今日のスタジオはダイニングテーブル。ディナーの支度を横目に音を調整していく。作業もピザ生地の発酵もじっくりと進む。バカでかいオーブンの熱で部屋はポカポカ。色鮮やかなパエリアがオーブンに入ると、外で良く冷やされたビールを勝手口から。


 幾つもの行程にゆっくりとフェードがかかるような、美しい時間。


 ディナーも音楽も出来上がっていくキッチン。こんな風に音楽と生活が繋がる暮らしを続けたい。

sketch/2016.1.19【まるで初心者】

 病院の窓からは、積雪の照り返しに浮かぶ滑走路。その脇には銀色のエアストリームが見える。抜糸を待つ私の眼下に広がる景色だ。傷口は見事に治癒し、しこりを残しているものの痛みは無い。それより、ギターの弦を押さえる指の方がよっぽど痛い。まるで初心者。

sketch/2016.1.18【大雪の日だからこそ】

  どっさー、という音で目が覚める。雪の重みで公園の木が折れたらしい。何通かメールをやりとりしたのち、出発。16号内回り。瑞穂、福生、昭島、アメリカ村、というルート。外回りは大渋滞している。立川のハウスの群れもまた、異空間へ迷い込む快感。大雪の日だからこそ、車を走らせたくなる。

sketch/2016.1.17【そういう巡り合わせ】

 明日にかけては積雪の予報。今年はまだノーマルタイヤだ。アメリカ村を後にして走り出すと、みぞれ混じりの雨が降り始める。


 もう12年も前だが、不動産売買の営業マンだった私は、当時オフィスに1台しか無かったPCで、立川の米軍ハウスの空き物件を眺めていた。アメリカ村管理事所に何度か電話をしたが、米軍関係者以外の入居は不可能だという返答。ただ、今も昔からの日本人が入居しているという噂だけは何となく耳に入っていた。


 今夜、入間のハウスの音を、立川のハウスで編集している不思議。


 幾つも焚かれた間接照明に浮かび上がる古いベニアの風合いとか、2匹の猫とか、インドネシア産の胡椒とか、カップルのミュージシャンとか。


 そういう巡り合わせ。

sketch/2016.1.16【駅前の景色】

 ガラス越しに、駅前から高架下を行き交う人並みをぼんやりと眺める。


 返事をしていない連絡がいくつもある。私の返事が遅い理由は、金の話が先に出てこない仕事の件か、よっぽど安心しきっている相手か、だいたいどちらかだ。両方の場合もある。


 駅へ向かう人も、駅から出てくる人の顔も、真っすぐ前を向いていて好きだ。

sketch/2016.1.15【水平線の見える丘】

  遠くの友人が、さらに遠くへ行くという噂を耳にする。彼は私に言うつもりも無いだろう。私たちは、誰かが巡り合わせてくれない限り、なかなか顔を会わさないが、何となく似ているので、少なくとも私は居心地がいい。私もいつか、海岸沿いを散歩する生活を夢見ている。彼が旅に出るのならば、水平線の見える丘でも見つけたのだろうか。

sketch/2016.1.14【肩を落とす人々】

 珈琲を煎れて店内を見渡す。今年の営業に向けてレイアウトの大幅な改善を考えているが、大工仕事がおあずけなのではかどらない。カーテン越しの気配に目をやると、今日も店の前で肩を落とす人がいる。しかしそういう人達は、私の怪我や店のホームページなどはチェックしていないのだろうなと、変な安心の仕方をする。

sketch/2016.1.13【イワシコロッケ】

 クリスマスの頃から変わらない駅前のイルミネーションと、相変わらず食べづらいイワシコロッケ。この店にしては高額だが、ためらわずに2つ注文。ポテトサラダをオーダーしかけて留まる。イワシコロッケにはポテトサラダがそのまま入っているからだ。しばらくたって、やっぱりポテトサラダが食べたいが、オーダーをしかけて留まる。再びイワシコロッケを注文。

sketch/2016.1.12【倉庫になったアトリエ】

 珈琲店の二階は屋根裏を改装したような部屋で、食材の山の向こうには、埃をかぶったキャンバスが所狭しと並んでいた。その中の一つは、いつでも続きを描き始められるような格好でイーゼルに立てかけてある。


 俳優を目指しているという私の指導係に、この店のオーナーが絵描きだと教わったが、描きかけの絵はいつになってもそのままだった。オーナーと店に立っても、なんとなくそのことには触れなかった。


 オーナーは仕事に厳しい人だった。理不尽な指導には口答えもしたが、後味はいつも悪く、そんな日は珈琲も煙草もよく進んだ。


 哲学という言葉に身を寄せていた時代のこと。


 今、筆を置いた絵描きの気持ちが、分からなくも無い。


 長く伸びた左手の爪を見て、埃をかぶったキャンバスたちの光景を思い出す。あの絵は今も描きかけのままなのだろうか。そもそも描きかけだったのだろうか。


 東京では初雪を観測。入間はやけに湿度の高い寒空。

sketch/2016.1.11【直木賞作家の語る勝負とは】

 海の向こうの父から手紙が届く。短い文章だ。『三十五以降に勝負をかけた覚えがある』とあるが、そのお陰さまで私はあなたの事を良く知らない。


  私は三月で三十五だ。父に問うには飛行機で六時間ほど飛ばなければならないが、あの国のビールは好きだし食べ物も好みだ。もう十数年は会っていないし飛行機代もかかるが、直木賞作家がどんな勝負をかけたのかは伺ってみたい。

sketch/2016.1.10【哀れな私】

 カウンターの向こうで煙草を吸う店員を見ていても悪い気はしない。むしろその仕草が懐かしく、美しくも見えたりもする。しかし隣の席で吸われると、たまらなく不快だ。私は喫煙者の頃、煙草を毛嫌いする人達のことを哀れだと思っていた気がする。今、私は煙草を吸わなくなった。そして喫煙者の事を、少なからず哀れだと思っている。しかし私が禁煙に成功したのは、数えきれないもらい煙草の末だということを考えると、我ながら最低だなと思う。

sketch/2016.1.9【17回目の冬】

 引っ越しの日。2007年の今日は、荷物を満載にしたゴルフ2で富士宮を出発した。国道139号線、通称大月線で富士山の裏側へ向かう。まかいの牧場、朝霧アリーナ、本栖湖を抜けて富士急ハイランドまで北上。そこからは高速道路で八王子まで。国道16号線をさらに北へ。福生、瑞穂を抜けると入間市だ。あの日は5時間程かかったのではないだろうか。以前住んでいた習志野までも3時間はかからなかったので、随分遠いところへ来てしまったと思った。しかし翌年には圏央道が中央自動車道と繋がり、一昨年は東名まで開通した。今では2時間程度で実家まで辿り着く。入間ICまで5分、新富士ICを降りて15分。今日で入間に来て9年。シンガーソングライターになって17回目の冬。

sketch/2016.1.8【寝酒が深酒に】

 夜が深くなる少し前に、いつもの扉をあける。とりあえず貸し切り状態の店に腰を下ろす。アド街ック天国を見ていないという連れの要請により、アフロの板前さんが録画を流し始める。とたんに酒がまずくなる。自分の意思が反映されていない自分を見るのはなんとも自虐行為だ。よって、次第にクダを巻きはじめる。「ほっとレモン事件はやはりお前が悪い」から始まり、気がつけば午前四時だ。ちょっと寝酒のつもりが、深酒になる。

sketch/2016.1.7【ペットの使命】

 八国山緑地の坂を上り、’’いなげや’’のカーブを抜け、セブンイレブンの手前の坂道でふと思う。なぜかパッと思う。


 癒しとは、自分の優しい心を感じることだと思う。少なくとも私にはそうだ。数日前の朝にすれ違ったおばあちゃんの無垢な眼差しに、私は癒された。あの気持ちが何なのかずっと考えていた。例えば、誰かに優しくされても、自分がそれを受け入れられなければ、いい気分になどならない。笑顔を向けられたら、笑顔で返せてこそ、いい気分になれるものだ。私はおばあちゃんに優しくされた訳でもないが、優しい気持ちを頂いた。そんな事を分析していると、ペットのことが浮かんだ。


 ペットの使命とは、『人間の無垢な優しさを維持する事なのかもしれない。』犬や猫の愛くるしさ、お腹がすいた時の現金な振る舞いに、私たちは『癒される』と表現する。しかしそれは間違いだ。彼らに向ける事の出来る愛情に、人間自身は満足し癒しの効果を味わっているのだ。癒しとは、自分の中の優しい心と向き合えた時に訪れる。そう考えると道行く犬や猫も神の使いに見えてくる。私にとっては。

sketch/2016.1.6.その2【昨日よりも肩がすくむ】

 吉祥寺の路地を行くと未だに、ある時代の記憶が鮮明だ。何度も通った道の脇の奥に、一度も降りた事のない階段がある。とあるテレビ番組で、はっぴぃえんどのアナログマスターテープを再生していたスタジオだ。機材のごった返す階段室を下りてスタジオに入る。リクオさんのデータをコピーしていると「新譜の盤、まだだったよね。」と、近藤さんの優しい笑顔に遭遇。私の恩人の1人だ。奥のスタジオに居る栗原さんにも挨拶をして、再び階段を上がる。こちら側から通りを眺めるのは始めてだ。見慣れた通りにまた新しい景色が加わる瞬間、である。そしてまた駅まで歩く。ハバナムーンの前を通るのは寂しいので辞める。吉祥寺には、そんな場所がちらほらある。この町を愛した沢山の人にとって、そういう町なのだろう。ヨドバシカメラで充電していたiPhone4sを回収し、再び杉並のアトリエに向かう。ちょっと高い魚屋でマグロのカマを買い、酒屋にも立ち寄る。私の傷には決して良くないであろうビールも買い、夜道を歩く。ハバナムーンがやっていたら一杯ひっかけていただろうなぁと思いながら。


 冬らしい冷え込みではないが、昨日よりも少し肩がすくむ。


 


登場人物:近藤さん(近藤研二)元、栗コーダーカルテット、2355の音楽監修で、私を佐藤雅彦さんに推薦してくれた恩人/栗原さん(栗コーダーカルテット)/リクオさんはリクオさん/ハバナムーン:店主が口うるさくて優しい店だが今はもう無い

sketch/2016.1.6【シエスタにもたれながら】

杉並のアトリエの為に買った、70年代のシエスタというチェアにもたれながら、窓の外を見ている。高い枝の向こうに夕焼けが始まる。私はいつだって世の中のいいとこ取りを目論んでいる。およそ他人の事などどうでも良く、自分の事で精一杯である。そして、そういう想いはとりわけ表に出さず、世の中を渡り歩いている。他人への善意さえも、自分の利益の範疇に納めるように、常に心掛けている。だからこそ、道行くご老人に対して抱いた想いが、我ながら愛おしく、我ながら胸を打たれるという訳だ。夕焼けが終わる。日は伸びているはずだけれど、まだ実感はない。ある日突然、『まだこんなに明るい。』と、今年も思うに違いない。

sketch/2016.1.5【怪我の功名】

うららかな日が続く。白髪のご老人と、二日連続同じ路地で、同じ時間にすれ違う。腰はぐっと曲がっているが、お化粧や身だしなみは完璧だ。前へ進むのに一生懸命で、私の小さな挨拶など耳に届かないほど真剣な表情をしている。そんなご老人に私の心は無条件降伏し、いつでも手を差し伸べたいという気持ちになる。おかしな話だが、自分の優しい心に胸を打たれると、まだまだ私の心は平気だなと思う。左手の傷が痛む。すべてがこれまでよりもゆっくりとしたペースで行われている。時間の流れも、ここ数年で一番ゆったりと流れている。

sketch/2015.1.4【うららかな午後】

 依然として暖冬である。暖かいので傷の治りも早そうだ。しかしギターは弾けない。喫茶室のモーニングセットも右手だけで食べる。本を読みながらの食事もおあずけだ。実のところ、師走のライブ納めからギターを弾いていない。弾きたいとも思わなかった。しかしだ、怪我をしたとたんに弾きたくてたまらない。指先がムズムズするから不思議だ。午後もうららか。三月下旬の陽気らしい。

sketch/2015.1.3【人は簡単に死ぬ】

 一瞬の出来事に『人は簡単に死ぬな、これは。』そう思った。


 どうすれば数分前に戻れるか?とか、嘘であって欲しいとか、頭が錯乱する。しばらくして、自分自身への怒りがこみ上げる。これまで見た事が無い具合に私から血が溢れ出す。肉の中は丸見えだし、私の身体が壊れてしまったと思った。取り返しのつかない事態に、ちょっとしたパニックだが、実際のところ死に直結する事態ではない。ノミで手の平をざっくりやってしまい、全治2週間である。


 最近見た映画では、負傷した兵士が「くそっ!なんてこった。」と命の最後を悟るシーンがあった。命の最後程ではないが、その片鱗を垣間みた気がした。これまでに、骨折とか大きな怪我や病気経験の無い私だが、もちろん大工仕事でも大きな怪我はしたことが無い。ギターを弾けなくなると困るので特に注意していたのだが、ついにこの時がやって来た。


 過去にギターを弾けなくなった時期は2度あり、一カ所は右手親指の付け根、もう一カ所は左手人差し指の第二関節。それは今でもたまにうずく。(どちらもバイト先の厨房での負傷。)今回は左手親指と人差し指の中間あたりだ。当然ギターは弾けない。そして、観念した。『今月はギターを休む、珈琲店も暫く休む』と。そして幸いにも、今年の私は文筆家であり、キーボードが叩ければ、いや、最悪でも右手でペンが持てれば仕事ができるのだ。滞っているミックス作業にも支障はなく、リクオさんの新作の作業も始まるかもしれない。ギターが弾けなくて、珈琲店が出来ないのはむしろ好都合である。さらに『神はすべてお見通しだ』などと、持ち前のポジティブな思考を展開している。


 私は元気だ、声も良く出る。ミックス作業中にはきっと、ヒロト君やななこちゃん、そしてリクオさんの歌声に合わせて歌うだろう。そして『いいコーラスが浮かんだらそっと入れてしまおう。ギャラは後から請求してみよう。』だとか、そんな冗談まで考えられる程に元気だ。そして、懲りもせず再び大工仕事を始めるのだ。


 三が日の締めくくりは、真っ赤な鮮血の源を見た。私の身体の中が丸見えだった。良くも悪くも毒出しだと思う。そして肝に銘じたい、人は簡単に死ぬのだと。

sketch/2016.1.2【春よ来い】

 米軍のお膝元、瑞穂。巨大なホームセンターが鎮座するこの町は、大瀧詠一が晩年を過ごした町だ。大瀧さんが息を引き取ったあの日も、私は今日と同じように、このホームセンターにいて、年の瀬の夕暮れを横田基地を見下ろす屋上駐車場で見ていた。


 そこそこ外国人も多く、輸入建材などに囲まれていると、クリスマスイブの西武園とはまた違った異国情緒に触れる事が出来る。いつものように、バカでかいフードコートの片隅にあるドトールでアメリカンをすすっていると、また良からぬ思考が渦巻いてくる。


『この国は、アルファベットに支配されてどのくらいだろうか。』


 そして銀色のPCを開く。資材コーナーの片隅には木材を満載した私のショッピングカートが放置してあるのだが、許して頂きたい。私は文筆家なのだ。MacBook Airは肌身離さずなのだ。


 さて。


 第二次大戦後、日本は公に植民地という体裁ではなかった。諸説によると、日本の政治と経済は常にアメリカの意向が反映されて来たという。それを当然とするならばこの国はいったい何なのだろうか?


 『さながら植民地政策の進化系が、この日本という国の正体だと思わざるを得ない。』


 新年から縁起が悪くて、申し訳ない。


 戦後の日本は確かに素晴らしい復興を遂げた。映画やドラマでも、その時代を輝かしく讃えているし、実際良い時代だったのかもしれない。そして、バブル経済は私の住む小さな町にも恩恵をもたらしていた。


 祖父の営むスーパーマーケットは連日の大にぎわいで、夕方の店内は歩くのも困難であった。そうして私は、小説家の子供でありながら、小説家の子供らしからぬ、お金には不自由の無い人生を歩む事が出来た。父の直木賞の恩恵よりも、バブル経済の恩恵の方が遥かに私の人生を潤してきた。


 さてと。


 決していい気分ではないのだが、この国を家畜に例えさせて欲しい。羊としておこう。羊飼いはアメリカだ。この国は逃げ惑う羊と同じで、追いかけられもするが、守られていもいる。時には愛でられもする。結局逃げ切れずに毛刈りが始まり、そのあとはラムッチョップにされる。


 要するに、育てられ、収穫され、殺され、食べられる。それはそのまま、高度経済成長、バブルの崩壊、そしてTPPに当てはまる。実に良く出来たシナリオだ。そして壮大な70年であった。そうして、今度は新しい羊達を探しに、再び戦地へ放たれようとしている。


 ここで、おかわりしたアメリカンをすする。ドトールのBGMはなかなか良い。


『大瀧さんは晩年、どんな事を考えていたのだろうか。瑞穂の自宅で、弾き語りくらいはしていたのかな。聴きたかったな。ここのドトールにも来た事があるかもな。』そんな思いもちらつく。そして店内のBGMに乗って私の空想紀行は続く。


 御上達のする事は’’どうかしている’’とは思うが、私たちはすっかり豊かだから攻撃的にはなれない。ピースマークを掲げたデモなんか、彼らは恐れていない。【豊かさは最高の餌】だと彼らは知っている。衣食住には困らない。アコムだってプロミスだってあるのだ。私などは意気揚々と霞ヶ関の階段を上ったが、デモの時間を間違えてしまう有様で、挙げ句の果てには足を運んだ事自体に満足している始末である。


 戦後70年を経て、この国はまだまだ放牧中の羊ちゃんだ。国会に向かって叫んだ私の声も、さっきまでいたはずのデモ隊の声も、羊飼いには届かない。「メーメー、メーメー」と訴えるが、届かない。というか、そもそもの矛先が違っていそうだ。残念ながら、国会の中に羊飼いは居ない。


 冷めたコーヒーをすする。すっかり日が暮れ始めている。この倍の倍くらい書いたが、まとめきれないし、私のカートも木材も撤去されていないか心配である。そして、こんなでっち上げ紛いな事を書きなぐったところで、誰もいい気分はするまい。でもいいのだ。私は表現者でもあるのだ。


 


 大瀧さんが息を引き取ったあの日の夕焼けは綺麗だった。12月の日没は5時頃だから、きっと大瀧さんが逝く少し前かな。横田基地の向こうに沈む夕陽は、大瀧さんの刻む最後の時を、美しく照らしていた。


 「春よ来い」


 大瀧さんのシャウトを勝手に深読みして、ぐっとくる。

sketch/2016.1.1【私の体裁】

昨夕から取り掛かっていた大工仕事をしながら思う。『二面性を美しくユーモアに描く』って言ってもなぁ。何やら新年早々雲行きが怪しい。毎日毎日そんな壮大なスペクタクルが書けるはずが無いし『美しい』というのが引っかかる。美しさとユーモアの融合は難しいとか思いながら頭を悩ますが、『これは今日じゃないと書かないな』という題材が浮かんだ。


 「突然だが、今日から私はフリーランスだ。」


 のらりくらりと月日を過ごし、運良く新しい事務所が見つかれば「移籍します!」などと体裁良くするつもりであった。落ち着くまでは窓口やHPの管理も今のままなので、しれっとしてれば良い話である。そもそも、ミュージックファンには事務所がどこであろうが関係ないはずだし、どうでも良い話である。


 さて、なぜ事務所を辞めるのかについても、私の体裁も、ここに記すことは違うだろうから、控える。


 ただ、はっきりしている事は、TIME STREAMシリーズは続くし、私はこの一年で大きく成長したつもりでいる。そもそも、セルフマネージメントであったならば、弾き語りの作品を出すなど、思い浮かばなかっただろう。それも1年で4枚とか笑ける。(実際、周りのミュージシャンに仰天された)


 それを大真面目に提案してくれ、やろうとしてくれた事務所に、私はこれから一生かけて恩返しをしていこうと思っている。残りの二枚を完成させたら、恐らくもう弾き語りアルバムを作る機会は、よっぽど熱烈な協力者が現れない限り、有り得ないだろう。有ってもお断りするかもしれない。(しかし今後次第では、味を占めて作り続けるかもしれない。)


 人生の中で、長い時間をかけて私を育んでくれる人がたまに現れる。しかもその人達の殆どは、私に傷跡を残して去って行き、私はいつまでもそれに恩を感じるのだ。『くそ~』と思いながらも。時々成長している自分を見つけては、感謝をする。


 私たちは、音楽と生活している。運良く大金が舞い込めば、また良い音楽を生み出す為に使うだろう。私はまず、ハワイへいくだろう。


 「人を幸せに出来るミュージシャンになりたい。」(制作側にも、オーディエンスにも)大金を稼ぐ、ミュージシャンになりたいし、その為にはやりたくない。あべこべもいいとこであるが、実際あべこべなのだから仕方あるまい。


 


 女優の田中裕子と、ジュリーこと沢田研二夫妻がカウンターの奥に見える。


 安っぽい赤提灯の店はとても芸能人が来そうにない佇まいだ。ジュリー、田中裕子、社長、私、マネージャーの塚本の順でカウンターに横並びだ。


 こちらを向いている社長がもっている煙草の副流煙が、さっきから田中裕子にもろかぶりで、彼女はとても煙たそうだ。社長は気づいていないけれど、私は言えない。こちらに気を使って煙草を持つ手を後ろにそらしているので、なおさら言えない。ジュリーは、もう1人の男性との話に夢中で嫁の緊急事態に気づいていない。私はジュリーだと気づけなかった。塚本はすべてに気づいていたらしい。社長は誰にも気がついていなかった。そして、こんな事を言っていた。


 「オーケストラとボーカルだけってのを、笹倉君でやりたいんだよね。」(いつか本当にやってみたい。)


 去年の師走のことである。いや、もう一昨年の、だ。


 マネージャーの塚本は黙って傍にいてくれている。


 見守っていてくれる人、そしてちょっとした痛みを残して去ってゆく人。


 私にとっては、どちらも恩人だ。


 なぜ事務所を辞めるのかについては、ここに記すことは違うだろうから、控える。


 私の体裁はといえば、精一杯この文章の中に詰め込んでしまった気がする。


 相変わらず私の人生には、別れが絶えない。2016年の元旦である。