sketch/2014.8.13

真夏の京都。蝉の音も静寂の一部のような石庭を抜けると、京都の町を見下ろす斜面にその墓地はあった。花を添え、線香を立てる。先日発売したアナログレコードを供え、墓石に手を合わす。


入間に引っ越したその年に、エンジニアとしてguzuriを訪れた藤井さん。最初も最後も同じ玄関先で言葉を交わした。
実像をデフォルメして、よく見せようとする事をあまりしない音つくりを見ていて、「音はこの人に任せよう」そう思うまでずいぶん覚悟が必要だった。彼は録音をして行く過程で、欠点を補う様な作業を本当に嫌っていた。彼の愛する音楽はそこに無い気がした。4年くらいはスタジオを使うエンジニアとして、そしてスタジオや音楽活動についての相談相手だった。数えきれないほどの言葉を交わし、ここ数年ようやく1枚のアルバムやコンサートを共につくり、これからの展望を話しはじめた矢先の他界だった。
そういえば、いつでも藤井さんと話した後は課題が幾つか見つかって、それに向っていく日々だった。この人のマイクの前で堂々としていられるミュージシャンになりたい。そう思った。
僕自身、エンジニアとして、またミュージシャンとしての側面から彼の仕事を見ながら、音楽への向き合い方も変化していった。彼の膨大な語りのすべてを把握する事はできないが、今でも様々な場面で、ふと、ある夜の言葉や、下北沢のカビ臭い珈琲店での会話が、蘇ってくる。
そして、guzuriの扉の前に立つ姿が、お守りのように焼き付いている。


真夏の京都。そんな日々を思い出していた。京都へ来たらここへ来て、ボーッと石庭を眺めて、いろいろなことは、この場所で解決してしまいそう。
藤井さんはそこには居ないかもしれないけど、とにかく、そこへ行けばいい。
世界中でたった一つの聖域を、最後にもらった気がした。


日がずいぶん傾いてから、京都の町中へ。
藤井さんの話を夜遅くまで。


藤井さんの生きたって事は、まだ続いている。
こうして勝手に受け継いだ気持ちでいる。