sketch/2015.11.30【同じにおい】

「店になってもしんちゃんちの匂いがするね」と言うのは、ここ2ヶ月で10キロ減のSO-SOおとん。昨晩は激を飛ばしに行ったつもりが、ただの酔っぱらいになってしまった私。本日は行って来いで酒井夫婦が久々にguzuriに来店。SO-SOが徒歩200歩ほどに存在した幻の2年間から早7年。ファーストアルバムのジャケットに収まるSO-SOと長髪の私。付かず離れず、9年目の冬。私はあの頃のおとんの歳になった。ストーブで頂き物の銀杏をあぶりながら暖をとる。銀杏が熱に絶えきれずはじけると食べごろだ。季節なのか、心なのか、時代なのか、何も実感は無いけれど、なにかしら動き出しているんだろうな。今は、今日の事を想い返したり、明日締め切りの原稿をまとめたりしながら深夜のファミレスに居る。それにしてもロイヤルホストはどこの店でも同じ匂いがして落ち着く。「まもなく閉店です」とウエイトレス。

sketch/2015.11.29【営業後のSO-SO】

本日の営業を終え、さらに一仕事終え、久しぶりに営業後のSO-SOのテーブルに辿り着く。奥でぐったりしているおとんに茶々を入れてビールを注文。入間で9度目の冬が来る。お互いに歳をとった。私の髪はまた9年前と同じくらいの長さになった。賄い飯にあずかるのも何度目だろうか。気がつけばほろ酔いで持論を展開している。翌朝のベットで想い返すとイタい私がそこに居る。ふとTIME STREAM season1が流れ始める。えげつないコンプレッションとリバーブ。まるで、冬のジャケットをかぶせたようなコンプレッションと、白い息のように深いリバーブ。この季節に、改めてseason1はこのミックスで良かったんだと思える。ライブ上がりのマキちゃんと久々に話をしながら、彼女のアルバム制作の日々を振り返ったり、最近の私生活を煽ったりする。他に客は居ないから気兼ねない、営業後のSO-SOが好きだ。

sketch/2015.11.28【紆余曲折どころではない】

小学生の頃は勉強が特に苦手で、初めてのテストは0点だったと記憶している。小学1年のころ、休み時間にベランダからそのまま帰宅して叱られた事は覚えているが、もう一度だけ学校を脱走した事があるらしい。私たちは保健室へ行き、そのまま無断で帰宅をしたそうだが、記憶はおぼろげ。そんなことがあったと彼は言う。最初はただのおじさんにしか見えなかった顔は、時間の経過とともに面影が浮かび上がり、最終的にはあの頃のままだな、などと思う。私の夢は人並みにプロ野球選手になる事だった。その後はテニスプレイヤーを目指し、さらには建築家を目指して上京。カラオケが下手で有名だった私は、いつの間にか歌を生業にしている。そして今日、その脱走仲間から「嫁の誕生日に歌ってくれ」と言われているのだ。あの日から今日までは、紆余曲折どころではない。

sketch/2015.11.27【キリストもびっくり】

寒空の朝の空気に灯油の燃焼不良のような匂いが混じる。自衛隊のジェット機のエンジンで燃えたその名残がこの町を包んでいる。近所のコーヒースタンドで聴いたJoy to the worldに、今年も年末へ向かい始めたのだなと感じる。この国のクリスマスも板についたもので、きっとキリストもびっくりだろう。安保云々の前に、この状況がどういうことなのかを受け入れないと、結局のところ話は堂々巡りをする。もっとも、堂々巡りするだけの知識など、私含めこの国のほとんどが、ましてや今このコーヒースタンドにいる客のすべてが持ち合わせていないであろう事を考えると、とうていお手上げだのだ。地方に独立国でも立ち上げようかなどと妄想し、独立国家ソマリランドに胸を馳せるが、そもそもそんな資金はどこにもない。まずは経費のかさんだ今月のスタジオ設備投資と、来月の家賃の算段が先決なのだ。

sketch/2015.11.26【天職】

朝には雨が上がるも、曇り空。寒さは昨日よりも増した気がする。どこであろうと、きっと私は招き入れる場所を作るだろう。誰が訪れるかもしれない場所を、来るかも分からない人を待つ為に作るのだ。カフェも音楽も同じだ。場所と時間を演出する行為、そういう仕事が天職なのだろう。空間も音楽も、それに触れた人の事を考えるときがやっぱり幸せなのだが、天職と言っても結局のところ「職」なので金の事を考える。今の所小銭ばかり稼いでいるが、職の最終的な目標は、大金を手に入れ、好きな事で椀飯振舞いがしたい。(それも相当な額がないと出来ないので、半ば諦めているが。)今夜は、ずっと待っていた大切な人に、富士宮やきそばを作ってあげることしか出来なかったけれど「それが何よりだ」とほおばる横顔が、私の生きる意味であると自信をもって言える。

sketch/2015.11.25【いつかの朝】

カーテンをめくり、窓を開ける。今年の冬が実感を帯びた朝。冷たい雨がふる。雨が降ろうが降るまいが来る客は来る。来月からのguzuriは土曜定休と決めた。そこに臨時休業が加わる。時間も14時から22時が妥当な気がする。その他にも検討することが沢山ある。寒い朝ほど、カーテンをめくり、窓を開けたい。寒いねと言葉を交わして、まだ残る暖炉の火種に薪を足し、朝食をとりながら遠くの山を眺める。いつかきっと、そんな冬の朝が訪れるだろう。

sketch/2015.11.24

久しぶりの陽射しらしい陽射し。夕方からの木枯らしに、冬の到来を予感させられる。もう一週間くらい口内炎が舌の上を転々とし、歌うたび、食事のたびに厄介な痛みが伴う。空気の乾燥が進んでいる。明け方近くのうしみつ時にストーブの前で歌いながら、季節は夜に動くのだと察する。セットアップが完了した新システムで、依頼されたミックスを始ているが、ブルーライト用のメガネを着用するようになってからは目蓋の痙攣が治まっている。文明には文明で対処するということが。経済のスパイラルを感じる。

sketch/2015.11.23

映画監督の永田琴さんの関西弁が二日酔いの頭の中をフラフラしている。生粋の人の言葉は後まで残る。その隣の羊毛くんは何杯目かのノンアルコールビールを傾け、こちらでは同郷の見田君に多少先輩風を吹かせながら紹興酒のポットをカツンカツン空けていく。声のトーンもどんどん大きくなる。お気に入りの中華料理店は貸し切りだった。昨日の場面をフラッシュバックさせながら、沢山のイスを片付ける。ふと思う。ここの窓からの公園を望む景色は9年間変わらない。もしかしたら、もうずっと変わらないのかもしれない。木々は成長するけれど。何となく納得する。納得というか、安心する。今夜は休肝日。冷たい雨の中、四川料理の赤提灯にもホッとして暖簾をくぐる。23時、閉店間際、オヤジのちょっと迷惑そうな顔にも和む。

sketch/2015.11.22

孤独を感じるのは、とても良い一日だったと言う事だ。良い時間が流れれば流れる程、それが去ることを思い浮かべてしまう。私の人生は出会いも多いが、別れも多い。始まれば終わる。いつからか、確信は表に出さなくなった。それもまた移ろう事を知ってしまったからだろう。逆に、すべては移ろうということが確信に変わった頃から、言葉が寄り添ってきてくれている。しかしそんな確信は時にしんどいから、こう思うことにしている。変わりたくないから、変わりつづけるのだ。自分でも何を言っているのか分からなくなってくる。

sketch/2015.11.21

guzuriの営業が終わり、明日の為に椅子を並べる。よくもこんなに椅子があったものだと感心する。9年間コツコツと増えてきた。多少ガタがきている物もある。全部思い入れがある。どこでどんな風に見つけたのかという思い出もある。その中で初めての椅子はロッキンチェアー。入間から船橋へ向かう道すがら、国道14号沿いの店先にそれを見かけUターンした。2006年、ロッキンチェアガールを作ったばかりの頃で、どうしても欲しく探していた。ある椅子は所沢の骨董市。あるスツールは大和の骨董市。車はゴルフ2や、ある時はバナゴンだったりした。最新のソファーはヤフオクだったりする。沢山の古いものを見てきたので、写真でも目利きに抜かりはなく、ハズレ無しなのが自慢だ。

sketch/2015.11.20

長く続いていたミュージシャンの録音が一段落し、ミックス作業に移行。長らくUAD-1eと付き合ってきたが、思い切ってUAD-2に変更を決意。当時、清水の舞台から飛び降りる気持ちで導入した高額なプラグイン達のライセンスはそのままだ。NEVE1073が40chも使える。限りなくアナログを目指そうとする技術者達の仕事に感謝。デジタルの行く末は私の知るところではないけれど、そういう技術に答えられる音楽家になりたい。そう思い、いち早くギターを手にしたいところなのだが、新しいPCやインターフェースなどを限りなく安く入手出来る方法を画策しながらインターネットの中を右往左往していて、まずはそれどころではない。

sketch/2015.11.19

夢を見た。かつて作った自主映画を見返している夢。私は演じていて、それは途中から退屈で見ていられない。懐かしい顔ぶれ。そしてふと日付が出る。10月17日とある。その日付を見た私は何かとても大切な事を思い出したかの様に、こらえきれず涙を流すのだった。目が覚めてからも不思議な余韻。自主映画もその日付けにも全く心当たりは無い。どうにも後に引きそうなので、心に深い穴を掘って埋めるとするが、演じるということに関してはまんざらでもない。

sketch/2015.11.18

トラックだらけの高速道路を東へ。雨のしぶきが混ざったロードノイズ。シナトラの歌が流れる車内。ストリングスやホーン隊、ボーカルのダイナミクスに、深い溜め息。道すがらのガソリンスタンドで給油を待つ間にダウンロードした音楽が、私の人生の一部を確実に動かしている。最大のリスペクトは、その領域に届きたいという気持ちに変わる。私の人生は、そういうものに出会う度に、何かが確かに息を吹きかえす。激しい雨と結露でフロントガラスの視界は狭いけれど、壊れかけのワイパーが今夜は調子良さげ。

sketch/2015.11.17

体の共鳴が進み、新しいステージに来ている。しかし何となく懐かしい心地良さが体の中に残る。不思議なデジャブ。声を上げて泣く行為の後に感じでいた疲労感にも似ているのかもしれない。子供の頃は、こんな風に無意識に体の中を使っていたのだろうか。無くしていた感覚が少しだけ蘇ったような気がして、目頭が少しうるっとくる。近頃は、もう取り戻せないものばかりに気がついてしまうので、なおさらなのだろう。しかし、そんな感覚を取り戻したなどとうかうかしていられない。season3はまだなんですか?という問いかけには頭が痛い。

sketch/2015.11.16

角を曲がると、赤提灯が消えている。お目当ての中華料理店での夕食は叶わず、町を彷徨う。小さい町をかれこれ1時間は歩く。幾つも看板が目に止まるが、どれも決め手に欠ける。きっとguzuri珈琲店も、誰かの目には決め手に欠けるように映っているのだろうなと想像する。歩き疲れ、結局適当な店に落ち着く。カウンター越しのテレビの中では、各国の代表が真剣なまなざしでテロとの対立を声高に宣言している。平和を訴えているらしいが、とてもそんなふうには思えない。

sketch/2015.11.15

数日前、近藤さんから届いた新譜。ようやく気持ちが整い、再生する。数日ぶりの陽射しと、小春日和。肌に触れる風の心地よい朝に、古いスピーカーから流れるギターの音色が完璧なシチュエーション。ガット弦の曲が始まると、気配がした。すぐに誰だかわかった。藤井さんがロッキンテェアーに揺られている。よい演奏のプレイバックを聴く時のように目を閉じている。あれから二年。今でこそ、藤井さんのマイクの前で歌いたいのに。南の窓から、今日もいつかの季節が迷い込んでくる。

sketch/2015.11.14

6時半の目覚ましが鳴る。目覚めの良い朝。幾つかあるメロディーの中の一つに、ふいに言葉が乗る。サーフィンに例えるとテイクオフとでも言えようか。メロディーは波に例えるとしっくりくる。言いたい事が決まると、言葉はゆっくり近づいてきてくれる。とはいえ、出会い頭の野良猫と対峙する感覚に近い。逃げなられないようにと慎重になる。そしてボイスメモへの捕獲に成功すると、いい気分で車を走らせモーニングへ。アメリカンとトーストが並ぶ。湯気の向こうには、背の高い窓が曇り空と紅葉の始まりを縁取って、クラッシックな音楽と共に朝を演出してくれている。

sketch/2015.11.13

狭山丘陵地帯へは気が向くとドライブへ出かけ、いい物件が無いか散策していた。その、まさに理想的な古民家でキノ・イグルーの上映会が行われた。薄暗い庭に、炭火であぶられるサンマの匂い。大きな窯で炊かれたご飯。狭山茶の紅茶とバスターキートンの映画。およそ100年前の古民家でおよそ100年前の映画を上映するという粋な夜。

sketch/2015.11.12

guzuriの営業許可を得てからそろそろ6年経つので更新手続きをする。狭山保健所はハイドパークへの道すがら。国道16号への抜け道も今年開通した。たしか今年。いや去年かもしれない。保健所の職員は6年前の若者だった。たぶん。6年という時間の半分以上は閉店していたこの店も、ここ2年くらいはコンスタントな営業を続けている。そろそろ定休日を儲け、レコーディング時は臨時休業という体を考える。

sketch/2015.11.11

ひたすらに片付ける事が追いかけてくる。生きているという事はそれだけで片付ける事が膨らんでゆく。客足も疎らだからguzuriの細かいところがどんどん片付く。この季節の曇り空は、いったい今が何時なのかさっぱり検討がつかない。暗くなると今日が終わったような感覚。時計をみるとまだ5時台。一日中片付けをしているけれど、疲労たけが積もり実感が無い。

sketch/2015.11.10

電話が何度か鳴り、外苑西通りから少し入った老舗の珈琲店を後にする。1時間300円の路上パーキングは63分の文字が赤く点滅を始めている。ファーストアルバムをマスタリングしたビクターのスタジオを左折して原宿方面へ向かう。アップダウンのある道を抜けると山手線圏外。井の頭通りに出るとなんとなくほっとする。代々木上原の交差点には、傘をさす人と、そうでない人。冷たい雨が降っている。十中八九引っかかる踏切と、沢山の人を乗せた夕方の京王線。いよいよ苦しそうな音を立てはじめたワイパーが、なんとか視界を横切っていく。

sketch/2015.11.9

声の状態は、これまでで一番良い状態であると自負する。そういう時には決まって落とし穴があるのだが、じりじりと迫り寄るそれには気づかないもの。色々な事をしていそうで、実のところ一つずつしか頭の回らない私には、聞こえない幾つもの足音が迫っているのだろうか。二頭追うものは一頭も得ずということわざも聞こえるが、何頭も追う私はどうなのだろうか。頭に幾つものプラスチックを巻き付けてもらっているしばらくの間、そんな事を考える。髪の毛もこれまでで一番長い。髪の毛にはかまっていられないので、手間のかからない様にして欲しいとだけオーダー。「了解です!」とうなずく保美さん。

sketch/2015.11.8

ワイパーのモーターに異音が発生してからしばらく経つ。雨の少ない時期なのでさほど気にしないでいる。所沢街道が空いていそうなので、そのまま真っすぐ都心へ向かう。青梅街道へ入る。雨はまた少し強くなった。ガソリンの値段は、ハイオク130円そこそこ。安いんだか高いんだか分からない。こんなときソマリア沖の海賊達の事が浮かぶのは、今読んでいる本のせいで、身近な必需品が世界の辺境と繋がっている事を想像する。しかしそれよりもワイパーの異音が気になる。

sketch/2015.11.7

今日はと言うと、お目当てのゆるキャラに会いに行くも出会えず、ますます出現のゆるさにときめいた後、駅のコーヒースタンドで、もう3時間以上も知らなくても何も困らない謎の独立国家ソマリランドについての本を読んでいる。世界のギャップはすさまじい。それもこれも高野秀行氏の文章が面白いせいで、私の中に世界の辺境の情報がどんどん溜まっていく。三島由紀夫以来に好きだと思える作家に出会う。

sketch/2015.11.6

guzuriを早じまいして町田の地下室へ向かう。ファブリックへの道すがら、虫の音も一段落した秋の深まりに気づく。それでも今夜はコートがいらない陽気。カイ君はビール。私は日本酒。仕事の話はそっちのけ、身の上話で盛り上がる。お互いに壮絶な父親を持つが、子供は勝手に育つとの意見で一致。

sketch/2015.11.5

完全な二日酔いだが、体にムチを打ち、店を開ける。店内とキッチンを整える。次第に頭と体がしゃんとする。昨晩のメンバー達は、あの酒量で無事に公務につけているのだろうか。11月に入ったら、しばらく休もうなどと思っていたが、日中は心地よい季節なので店を開けることにした。今は12月に入ったらしばらく休もうと思っている。今夜も録音を終え、四川風麻婆豆腐をアテに紹興酒を傾ける。

sketch/2015.11.4

guzuri閉店後にギターを背負って西武線に乗り込む。今夜も私の演奏とキノイグルーの有坂さんによるミニ上映会のある集まりがある。この会が表立つのは随分先の話だと思うが、そもそも何も話が進まない。1,000円で貴重な日本酒が飲み放題ということで集まるのだが、それ故に肝心な話が進まない。

sketch/2015.11.3

なぜ、人殺しも可能な戦闘機に心引かれるのか。航空際のショーを見ながら何度もそんな気持ちがちらつく。まわりを見渡す。我々はバカなのか?ブルーインパルスが飛び立つ瞬間。胸が躍る。私は馬鹿なのか?空中で舞う勇ましい戦闘機を、映画の中やテレビゲームの物として見て育った平和ボケはこんな所に現れる。どうにも操縦できない自分の心と青い空の下で珈琲を売る。やれやれだが、仲間とのひと時が心地いい。こんなふうに戦闘機の曲技飛行に感動し胸躍ること自体が平和というもので、いつまでも何も考えずに歓声を上げていられる日々が続けばよいのだ。そんな不時着のような考えに、遠い戦地のイメージは薄れてゆく。そして残念ながら空に舞う戦闘機は美しく、パイロットの技は私を感動させていた。

sketch/2015.11.2

朝のドライブ。久しぶりに街道沿いのロイヤルホスト。ファミレスの中では価格設定が高いが、サービスが良い。ウェイターは品の良い奥様層、もしくは支配人風のボウイ。客に若年層は少なく、居ても場を弁えた感じを受ける。主婦たちの井戸端会議はそこにも健在だが、もはやそこにチャチャを入れる気は起きない。どこも同じだ。平均200円ほどの価格差と佇まいが、色々から店を守っている。それで、今日もくつろげる。さて、ロイヤルホストのありがたみを上げるともう少し細かくなってくるので、ここらへんにしておく。今夜もレコーディングエンジニア。ストーブを灯し、PCの前に座る。

sketch/2015.11.1

今日はカイ君にもらった縁の中で羽ばたいた、そんな一日。秋の夕暮れの瞬く間に陽が落ちてゆく中、枯れた枝で遊び、落ち葉の上を駆け回る子供達。小さい秋がそこら中だった。新作のカイ君の服と初めて聴く佳穂ちゃんの歌声。この縁はこれからどこへ向かうのだろう。一日中幾度となく、ふと考えた。何も具体的なことは無いけれど、そのうちどこかへ繋がるんだろうな、という事だけは三人ともおぼろげに思っているはずだった。

sketch/2015.10.31

0時にいつもの店に食事に出かける事が目標だ。5Mのナットとワッシャーを幾つか持ってレジに並ぶ。169円也。カギをかけなければ半開きだったエアストリームのドアに、オレゴンから取り寄せたビンテージのドアノブをつけるためだ。生活とはアイディアだ。大型のホームセンターに行く度にその存在に感謝する。guzuri閉店後のささやかな楽しみの時間。小雨のぱらつく木枯らしの夜、手をグリースでべた付かせながら古いドアノブを解体する。ジュラルミンを削り、加工と呼ぶにはおこがましい加工をする。明日のライブの仕込みも欠かしてはならない。0時をだいぶまわった所で、やっと生ビールと宮崎牛のあぶり握りまで辿り着いたのだ。