sketch/2015.12.31【捨てさるべきもの】

 日常生活では、当たり前であるが気を使う生き方をしている。数年前から始めた日々を綴るsketchだが、今年は365日を納めた。人目に触れるものだから、どうしても気を使う。気を使うと、筆が進まなくなる。


 いつからか、あるテーマに沿って書いている事に気づくのだが、これについて意識するようになってからは不思議と筆が軽くなった。そして、それがいつしか私の、シンガーソングライターとは別の顔の表現方法に変わって来ているのを感じる。


 私はかつて三島文学と出会い、音楽にその美しさを表現したいと思った。描写の世界は、景色をいかようにも操作でき、思考にリンクしてゆく。それは私の中にある、守るべき聖域のように佇み、音の中で表現された。そしていつまでも、忘れては行けない無垢であり、私の心の掟だ。


 しかし日々の無情に、私の掟はみるみると破られ、いつの間にかぼろぼろだ。情けない話だが、歌と向き合っている以外はほとんど掟破りの人間である。そんな人間ではあるが、私自身が、自ら作ったものとは疑わしくなる程のものに、何度も何度も救われながら生きてきた。


 私の表現は限界を迎えていたのかも知れない。


 しかし、ある作家と出会う。「誰も行かない所へ行き、誰もやらやい事をやり、それを面白おかしく書く。」をモットーにした、エンタメノンフィクション作家の高野秀行氏だ。この氏との出会いは、三島作品と私の間にある根本的な隔たりを解消した。その隔たりとは「ユーモア」である。


 そもそも、中学1年時は、国語の授業が大好きであった。挙手率は優に9割を超え、抜群のセンスで笑いを取っていた。教室がどっかんどっかんなる事が快感であった。つまり、すべての問題に対し、全くすっとんきょうな回答で、授業妨害も甚だしく、ある時先生に大目玉をちょうだいした。当たり前だし自業自得だが、それからというものの国語に嫌気が指し、とにかくスポーツへまい進した。かなり大雑把ではあるが、というか雑な経緯であるが、そんな感じだ。


 それから20余年。私の日々の中にあるユーモアがようやく日の目を見そうな気配がしているのだ。私も一応「シンガーソングライターでありながら、誰も行かない所」へ行こうとしてるし、実践もしている。そして、大真面目だからこそ、面白おかしい日々がある。


 これまでの私の表現といえば、日々の美しさ、儚さ、恋や、戒め、寂しさ、嬉しさ、喜びや悲しみ、そういった描写に取り組んでおり、決してユーモアは相容れなかった。


 ユーモアどころか、私の心の中の決して音楽では表現されない部分は、かなりの年月をかけて広がりをみせ、もうずっと前から私のもう一つのリアルとして君臨している。私はいつの間にか、どうしようもない二面性を持ち合わせてしまった。


 そんなとき、高野文学に出会いノンフィクションを面白可笑しく描く妙を見た。


 伝え方によっては、これまでのファンを失いかねない危険な橋であるが、言葉の魔術師と呼ばれる私ならばその橋を渡れるであろう。少なくとも、出来の悪いMCで墓穴を掘るよりは。


 『二面性を美しくユーモアに描く』


 これこそが私に表現出来る文章であるはずだ。その想いは、天から射した光なのか、大量の音楽ファンを放出する前触れなのかは、まだ分からない。


 物事は見方や伝え方によって、良くも悪くも表現出来る。爆笑は得られないが、心の二面性を可笑しく表現出来た時などは、不思議とダークサイドがほぐれてゆく。そうやってすべてを受け入れて行けば良いと思っている。(本音も建前も、どちらも本心という事は良くある。)


 数年前から始めた日々を綴るsketchだが、今年は365日を納めた。人目に触れるものだから、どうしても気を使う。気を使うと、筆が進まなくなる。しかしいつからか、不思議と筆が軽くなった。


 「  褒めない、媚びない、感謝しない。」


 およそこの世界で生きて行く為に必要であろう気持ちを捨ててからは不思議と筆が軽くなった。


 今日も筆を置いたとたんに、その三つとも必要な世界が待っているが、


 「褒めたり、媚びたり、感謝したり」そういう世界を可笑しく切り取って、心の凝りをほぐしてゆきたい。それが私の為であり、誰かの日々を豊かにしてくれると信じている。


 音楽を始めた時の気持ちと、変わりはない。

sketch/2015.12.30【みそっか】

 夜風を切って行きつけの寿司屋へ入ると、見慣れた顔だ。年の瀬の挨拶に心温まる。今年もいよいよ終わりを迎える。トーベンさんと約束したお正月アルバムの事を考えていたら、不意にJBの「セックスマシーン」が口をついた。


 「ゲロッパ!みそっか!おおみそっか!」


 我ながら傑作だ。連れの大爆笑に気をよくした私は歌い続ける。


 「みそっか!おおみそっか~」


 晦日の住宅街に響き渡る。

sketch/2015.12.29【小吉】

 参道には出店が軒を連ね始めている。幅10m以上はありそうな立派な参道。車を停めてから、境内を横切り、参道をさかのぼって入り口の鳥居まで。そこから出直して順路を辿る。いつも通りのやりかた。


 立派な杉の大木の参道をゆっくり歩く。えびす様のような太鼓腹をし的屋のおじちゃんが、のんきに店支度をしている。いったいどうすればそんな立派な太鼓腹になるのだろうかと感心する。


 カラスに、「カー、カー」と話しかける。こちらにそっぽをむき糞をされるが「お。運がつくね。」と、ポジティブな年の瀬がゆく。初詣ならぬ詣納めのススメ。


 おみくじは小吉。


 

sketch/2015.12.28【私の器】

 深夜の山手通りをタクシーに揺られていると、ちょっとだけスクリーンの中に居る気分になる。首都高速の高架下の甲州街道をほんの少し横切ると、1人目の目的地。引き続きタクシーに揺られる。井の頭通りを西に向かう。高校生のころ読んでいたロマンスの舞台はおよそ東京の西側だった。あの頃の憧れの町も、今は良く知る町。そして居心地の良い町になった。始発を待つことをせずにタクシーに乗り込んだはいいが、割増メーターに少しずつ酔いが覚めてゆく。それが私の器である。

sketch/2015.12.27【ビグとトーベンさん】

トーベンさんは珈琲。私はビール。リハーサル後のひと時はBYGで過ごす。主催者のマヒトさんが、既に缶ビールで出来上がりつつあったので、私も追いかけ始まる。外はまだ明るい。こんな風にトーベンさんとBYGの3階(正確には2.5階)で過ごす時間はマイヒストリーの1ページだ。『12月の雨の日』の共演からおよそ干支が一回りしている。トーベンさんはいつの間にか僕の事を「しんすけ」と呼ぶようになった。それがとても嬉しい。なんとなく、大切な時期にはいつもトーベンさんがいる。ビグ(BYGのこと)の古いスピーカーからはビーチボーイズが流れている。この場所の古い時代の話を沢山したあと、来年はアルバムを一緒に作る約束をした。

sketch/2015.12.26【暖冬】

今年の紹興酒納めである。ライブを終え、ロバハウスを後にし、行きつけの中華料理店へむかう。4人掛けのテーブルは宴の後だったので、カウンターに腰を下ろす。今年も足しげく通った店の大将にちょっと話しかけてみる。


 「今年もありがとうございました。いつもとても美味しいです。」とか言ってみる。


 客席のカウンターよりも少し高くなっている厨房内は、換気扇やら冷蔵庫やらの騒音で、こちらの声が聞き取りづらいらしく、私の年の瀬のご挨拶が全く届かない。考えてみれば、いつもオーダーを伝えるだけで精一杯だったのだから、とても私の長文が聞き取れるはずが無い。必ずと言っていい程、オーダーを聞き返してくる大将がみせるリフレインのジェスチャーは、2015年私的モノマネレパートリーの中でもトップ3に入る。


 今夜も美味しく頂き、店を後にする。まだまだ手袋はいらない。暖冬だ。ちょっと大将のマネをしてみる。つまらなそうにそっぽを向く連れの表情を見る限り、決して他では披露すまいと心に誓う師走の夜道。


 暖冬である。

sketch/2015.12.25【ダークサイドに落ちたクリスマス】

目指すのは山の上にそびえるマンション。横浜の狭小道路を森さんのバカでかいラムバンで進む。


 都市計画が始まるよりずっと前に、我先にと住宅を構えた名残だろうか。依然としてセットバックを拒み続けているような住宅街を抜けてようやく辿り着いた今年最後の現場。重い扉を運び出し、設置する。3匹の猫が檻の中からこちらの様子をうかがっている。


 彼らの悪さを阻むための仕切扉の設置に、知ってか知らずか随分とこちらが気になる様子だ。猫らにしてみれば縄張りを狭くされてしまうとんだクリスマスプレゼントに違いないのだが、我々人間は完成した扉に大満足し、ピザを食べながら談笑している。カイ君と私、そして森さんとボスとで食卓を囲む2015年のクリスマスである。


 そして


 すべてが思考停止してしまいそうな深夜。このままではミッションコンプリートできずに意識を失ってしまうので、いつものダイナーへ繰り出す。ビールを傾けながら名刺の束を物色。私にご利益のありそうな人達をピックアップする。


 キリストの誕生日は昨日と変わらず、ブッダ寄りの板前さんと一緒である。どちらかと言えば私の方がキリスト寄りだ。キリストにもブッダにも顔向け出来そうもない心境の私は、年賀状リストの作成に忙しい。周りはワイワイ年の瀬ムードだ。


 入間から横浜、横浜から静岡、そして入間と、ぶっ飛んだ一日を終えた私の頭もぶっ飛びそうなもんだが、年賀状リストを完成させなければいけない。状況だけみると、かなりの疲労困憊だが、そんな心配をよそに頭は冴え渡り、『私にご利益をもたらす人達を選ぶ』といったダークサイドの思いは、スターウォーズの世界と同じで私に素晴らしい力をもたらしてくれた。


 世間的に気持ちの良い言い方をすれば、お世話になった方への新年のご挨拶の為に一生懸命なのである。つくづくこの世は本音と建前と世間体とで面倒だ。『それでも愛しいと思えるところに、救いがある。』と、救済のセルフサービスを決め込んで、ダークサイドの中の良心に問いかける。『アナキンも、マスクの男も、辛かったんだろうなぁ』などとほんのり思う。時間にして2秒くらいだ。


 ふと、合コンへ行っていると言う「ほっとレモンの男」にメールで茶茶を入れてみる。帰って来た返事は「ほっとレモンぶっかけますよ」だ。どうやら合コンがうまくいかなかったらしい。これからこっちへ来るというので、急いで身支度をした。その後は電話も無視する。


 明日はライブなのだ。

sketch/2015.12.24【クリスマスは大好きです】

地上62mへ向かうカゴの中で、目の前の連れはギャーギャーうるさい。どうやら高所恐怖症らしい。


 西の空ではサンセットが始まっている。友人の家も見える。「あれが所沢で、ツインタワーがあるから、あそこは小手指だ。」とか、とにかく目に入るものに説明を付けて気を紛らわす。てっぺんを超え下降を始めると気持ちは徐々に穏やかになる様子で、私も同じであった。実は私も高いところが得意ではない。


 小林幸子がプロデュースしたらしいイルミネーションは、想像をまずまず上回る美しさ。昭和の名残のように佇む東京の西の外れの遊園地は、妙に居心地が良い。今時珍しいインスタントラーメンの自動販売機で空腹を満たしたり、あと20ほど若ければ大満足であろうマジックに興じる35回目のクリスマス・イブ。ライトアップされた乗り物なんかに乗っていると、不思議と異国情緒まで感じられる。
 
 お次ぎは地上80m、展望タワーからの夜景に西武グループの威厳を感じ、どこまでも続く平野の夜景に、なんとも言えない敗北感まで漂ってくる。何に対しての敗北感なのかもはっきりしないまま、展望タワーは回転を続ける。そして後を追うように私の思考も回り始めた。


 『私も立派な大人になった。そこそこ反抗期もあったが、クリスマスには抵抗をしなかった。いつしか、サンタが架空の存在だという悟りを開き、さらにはキリスト誕生の日という、およそ我々民族とは無関係な人間を祝うミステリーにも目をつぶった。そしてたまたま迷い込んだ夏祭りきさながらに、神仏そっちのけで金魚すくいを始めてしまっているような、とっても無邪気なこの国のパロディーにも無抵抗だ。』


 クリスマスについては、多くの国民が何かしら思っているはずなので、私がいまさら騒ぎ立てる事ではないが、園内のクリスマスムードが、いつの間にか私の反骨精神を煽り始めている。しかし、今日の日を台無しにする訳には行かない。思いがけず灯ってしまいそうな反骨心などは到底お呼びでない。点灯が歓迎されるのは、幸子のイルミネーションであって、私のパンク精神などではない。


 さて、クリスマス・イブの遊園地、ひときわ高校生のカップルが眩しい。流行りの自撮り棒を手に初々しいが、私から見れば完全に青春勝ち組だ。「親とクリスマスケーキを分け合う思春期の敗北感は知っておいたほうがいい。」などと格言面をする私だが、少し前に乗ったジェットコースターに酔ってしまい足下をふらつかせている。おまけに悲鳴まで上げてしまったので、さっきから連れにからかわれているが、なにやら楽しそうなので悪い気はしない。失態がネタになるのは何よりだ。


 私は引き続き、この国のクリスマスをシリアスに考えているのだが、目に映るものすべてが幸せそうなので、なんだかバカバカしくなってしまう。私のパンク精神も一向に幸子イルミのように灯る気配を見せない。そして人形に向かっては’’幸子’’などと呼び捨てにしているが、本人を目の前にすれば、’’さん付け’’で改まるのが目に見えている。さらには、この幸子イルミネーションを誉め称えるに違いないのだ。私はそういう人間なのだ。とどのつまり、この日を選んでこの場所に来た時点で、そんなシリアスやパンク精神を持つ資格さえ無いのだ。


 暫くしてもう一度、地上80mからの眺望が見たくなって列に並んだ。憧れのパンクロッカーになれなかった私の心は、それでももう一度、あの『なんとも言えない敗北感』を求めていた。


『あの感覚はなんだったのだろうか?』と。(お忘れかもしれないが、本編4段落目に出てくる『なんとも言えない敗北感』のことである。)


 列には、カップル、アベック、家族連れと、クリスマスムード満点の園内だが、どちらかと言えば、眼下の怪しげな’’幸子さん’’の人形の方が、よっぽど私の心情との重なる。「幸子さんは、どこまでプロデュースをしたのかなぁ。」とか、「プロデュースの定義は広すぎて曖昧だ。」とか、いちいちケチをつけてみる。そんなつまらない話に、隣の連れは話半分の面持ちだ。相づちも見受けられないが、来年プロデュース業が待っている私には、決して人ごとではないのである。


 さてさて、この西武グループの威厳を見せつけるかのようなジャイロタワーは、空気が澄んでいれば、東京タワーどころか横浜のランドマークタワーまでが見渡せると言う。


 再びの広大な夜景。そして思う。


『この感覚は敗北感では無いのだ』と。


そもそも始めから勝負すら無く、さながら『支配』という響きの方がしっくりくる。


 それでいても尚、この国のクリスマスを’’一生懸命’’シリアスに考えてみるのだが、やはり私の目に映る景色とは、あまりにも対照的だ。そして美しい夜景を前に『私がいくら考えても仕方の無いことなのだ』ど、安堵をおぼえる。(思考放棄とも言う)


 しかし、タワーが下降をする程に迫ってくる’’幸子さん’’のシュールな横顔と、彼女がプロデュースしたらしいイルミネーションが、『この国のチグハグなクリスマスの縮図なのでは無いのか?』などと、私もまだまだ諦めが悪い。


 不意に、遠くで悲鳴が聞こえる。目を向けるとキティーちゃんが先導を勤める(3歳から乗れるらしい)ジェットコースターが相変わらず役割をまっとうしている。(断っておくが、以外と怖い。)やっぱり話はぶり返しからかわれるが、悪い気はしない。


 ホットドック売りの女の子を見ても、バイト終わりを待つ彼氏が遊園地の駐車場で待っているようなストーリーを連想し、チラと時計を見る仕草にも、クリスマス・イブにしか感じようのないロマンスを見てしまう。


 『支配』という言葉がよぎる。


 『支配は、以外と不幸な事ばかりではないのかも知れない。卒業など出来ないのかもしれない。だれもが尾崎豊のようにはなれないのだ。』(ここまで話が進むと、我ながらお手上げである。)


 今夜は運良く席を確保出来た馴染みの店も、入り口のイルミネーションからしてすっかりクリスマスムードだ。結局のところ、どう考えても、この支配からの卒業は、今夜の私たちにはにふさわしくない。


 扉をあける。


「メリークリスマス!」


 そして、どちらかと言えばブッダ寄りなアフロの板前さんと、彼の繰り出す絶品のティラミスケーキで、イエス・キリストの誕生を祝うのであった。


 めちゃくちゃな話ではあるが、子供の頃からクリスマスは大好きなのだ。

sketch/2015.12.23【どちらも本心である】

私がこの町に居を構えてから来年で10年目だ。いつからかこの辺りはジョンソンタウンと呼ばれる様になり、地域を上げてのイベント事やクリスマスコンサートも毎年行われるようになった。


 ここ数年は目に見えて来場者も増え、店舗の多い目抜き通りはすっかり観光地の装いだ。タウンが進める観光化は、確実にこの町を私の理想郷から遠ざけるものであったし、もちろんクリスマスコンサートへの出演依頼も毎年辞退させて頂いていた。しかしだ、今年はついにクリスマスコンサートへの出演を承諾。私を良く知る人達からは「どういう風の吹き回し?」などという声もチラホラ聞こえてきたわけだが、私の風の吹き回しについては次の通りである。飽きずにお付き合い願いたい。


 この町は常に変化を続けている。隣人の老夫婦の芸術家も、guzuriの隣にあった広いコイン洗車場も、ここが世界の果てかの様な錯覚も、オールドストーリーの中で生きているような気分も、みんな消えて無くなった。少しずつ、目に見えて、着々と無くなって行く9年だった。唯一変わらないのは、guzuriの窓から見える公園の景色だ。私も変わり続けた。長く伸ばした髪を切り、髭ヅラを卒業し、車もワーゲンからボルボに移り、個人事業主から代表取締役に、そしてまた長髪になった。もう一つ変わらないのは「私と別れた女性はおよそ1年以内に結婚する」という、20代から繰り返されている私的ジンクスくらいだろうか。「風の噂では君が嫁いだ」という状態は相変わらずだ。これについては1stアルバムに収録されている『アトリエの冬』を参照頂きたい。


 そして、道へ出れば観光客がカメラを構えこちらを狙っている。うかうかパンツに手を突っ込んでゴミ捨てなどに行けばちょっとした事件だ。観光客の気合いの入ったよそ行きと、私の気の抜けたパジャマ姿では、正当性はどちらにもあるにせよ、こちら側の精神状態の方が明らかに分が悪い。そして、私の精神状態をよそに、タウンの賃貸稼働率は上昇を続け、どうやら空室待ちの状態らしい。


 飽きずにお付き合い願いたい。


 私も肩書きだけは一丁前で、社長業も今年で5年目である。世の中を見る目は、すでにそこそこ経営者の目線だ。この数万坪のハウスの群れを管理する家主の気持ちになれば、この観光化にも十分な理解を持てる。この町の環境管理を考えればパンツに手を突っ込んでゴミ捨てに行く事も自粛できる大人なのだ。そして、今度こそ、私の風の吹き回しについては次の通りである。


 切っ掛けは『アド街ック天国』への出演依頼である。始めはのっけから断るつもりでいた。が、私もすでにそこそこ経営者の目線を持っている。真っ先に思った事はといえば、「出れば、お客さん沢山くるかもなぁ。儲かるかもなぁ。」


 真っ先に思ったことが経済効果であった事は誠に残念だが、くそ真面目な話をすると。そもそも、私がこの場所に身を置くことになった理由は第一に、米軍ハウスの音楽史的な重要性や憧れである。経営者の以前に、ここに来た理由がある。増加を続ける観光客に、これ以上アウトレットに行くのと同じ面持ちでこの町に踏み込んできて欲しくない。只でさえ、パンツに手を突っ込んで歩く平和的な日常を献上しているというのに。


 さらに出演を断れば当然、私が抱くハウスへの想いまでも排除された状態で全国的にこの町が知れ渡ってしまう。そう思う程に、「それだけは何としてでも食い止めなければいけない。」という、極めて個人的な危機感を抱いた。(この時点で、エンタメ性を重視するテレビに対する危機感も抱くべきだったのだが、残念ながら私利私欲もちらついている人間にそんな冷静な判断力は期待できない。)


 結局、2日間に渡る撮影のほとんど、そしてインタビューで語ったハウスへの想いはすべてカットされ、そもそもアメリカンという切り口で『富士宮やきそば』が上位に食い込むはずも無く、結果は13位と惨敗であった。


 放送後は見事に客足が増え、嬉しい悲鳴であった。しかしながら、私のハウスへの想いは、伝わるどころか、恐らく「富士宮やきそばがある珈琲店で、よくわからないけど、歌う人?」という謎めいた認識を植え付けてしまったに違いなく、私の個人的なモヤモヤは募るばかりだ。


 さて、気をとりなおして、今回、私がクリスマスコンサートに出演したのも同じ理由である。私が歌う事で、この町に受け継がれる音楽史を知って欲しかったからだ。世間様に、この町がミーハーな解釈だけで知れ渡るのはどうしても許せないのだ。


 この町の観光化は、いつからか私の中に小さな違和感を生み出し、少しずつ育まれていった。そして『アド街ック天国』という全国的長寿番組を前に、いよいよ逃げも隠れも出来なくなってしまったという訳だ。


 私がこの町に居を構えてから来年で10年目だ。いつからかこの辺りはジョンソンタウンと呼ばれる様になり、地域を上げてのイベント事やクリスマスコンサートも毎年行われるようになった。今日は始めて町の人達と一日を共にした。正直、文化祭のようで楽しかった。


 一次は雨天中止との声も上がったコンサートだが、特別に立てられたテントには、ストーブを囲む私と10名程のアリーナ。外では、傘をさす人、向いの店の軒先で暖をとる人、沢山の人が歌を聴いていた。


 ちょっと時間がかかったけれど「ここで歌う事が出来て本当によかった。」そう思えた。そして四の五の言わずとも、私には歌がある。歌えば人々に伝わる。そんな気がした。


 これまで、タウンが見せる観光化への動きには賛同出来ずにいた。ただ、もしも私がこの町を、目先の利益に捕われて運営するのであれば、とりあえず低層マンションをメインとした開発をするだろう。話によると、そういう選択肢にせまられた時期もあった様子だ。


 


 『アド街ック天国』のカメラが回っている。


 すべてカットされたが、沢山の想いを話した。最後に一つの質問が私に投げかけられる。


 「今後、この町がどんな町になって欲しいですか?」


 すこし考えて答えた。


 「そうですね。賑やかになろうが、廃れて行こうが、この町が無くならなければ、どうなっても良いと思っています。」


 話を続けた。


 「米軍ハウスがこの時代まで集落で残っていること自体、奇跡みたいなものですからね。」


 そして心の中でも回答を続ける。


 「どうせなら、この放送が儲け話に繋がって欲しいですね。」と。


 どちらも本心である。

sketch/2015.12.22【ほっとレモン事件】

「小手指まで迎えに来てくれたら飲み放題。」という迷惑メールにまんまと引っかかり車を出す。入間市駅までの終電車はとっくに無い時間帯だ。


 深夜に寿司を食べながら、お湯割り梅干し入りもすでに3杯目。明日は9時に現場集合だというのに。(現場というのは音響も頼まれているジョンソンタウンのクリスマスコンサートのこと)


 さて、小手指駅で拾った酔っぱらいは相当にできあがっており、席を立つ度にカウンターの椅子を豪快にひっくり返している。そして何やら訳の分からない事を言っている。


 「『ほっとレモン』を迷惑なオヤジにひっかけてやりましたよ。」


 電車内の出来事らしい。(因に『ほっとレモン』とは甘いレモン水を温めた飲み物)


 「絶対に僕は悪くないんですよ。明らかにあのオヤジはみんなの迷惑だったんですよ。」と、みんなの為にやったのだと言わんばかりだ。


 水ならともかく『ほっとレモン』をひっかけられた人が気の毒だし、後日談としても水や酒ならともかく、甘ったるい『ほっとレモン』では被害者も浮かばれない。かくして、今夜の私は酔っぱらいから真相を引き出す事にいつの間にか必死だ。そのうち私まで酔っぱらい、いつしか酔っぱらいの宴と化すのだが、話は次の通りだ。


酔っぱらい:「泥酔したオヤジが寝転んじゃってて、すごくじゃまだったんですよ。明らかに周りも迷惑してたし、僕が代表して蹴ったんですよ。そしたら睨んできましてね。頭にきたので『ほっとレモン』をかけてやったんですよ。」


 わけがわからないしひどい話だ。そもそも、いきなりケリを入れたら当然睨まれる。(私の察するに、蹴ったとか言っているが、靴先でコツいたぐらいだろう。)睨まれたお返しに『ほっとレモン』をかけられたら私でも怒る。同然オヤジは反撃に転じ、押し返してきたらしい。しかし迷惑さを共感していた車内の数名が味方についたらしく、オヤジは退散したのだという。


私:「だからさ、なんで『ほっとレモン』をひっかけちゃったんだよ。明日べとべとだよその人。水ならともかくさ。」(私も酔ってきているが、たしか『ほっとレモン』はハチミツ入りだ)


 私の真剣な説教が続く。次第に、乾いたときに尾を引く『ほっとレモン』をひっかけてしまった過失に気がつき始めた様子で、重い口が開く。そして本当の事が明らかになってくる。


酔っぱらい:「最初、蹴ったあとに睨まれたんで、謝っちゃったんです、僕。」


私:「ん? で?」


酔っぱらい:「謝っちゃった自分に腹が立ちましてね。飲んでいた『ほっとレモン』をひっけちゃったんですよ。」


 まとめると、理由は真っ当にしても先に手を、いや足を出している。蹴られたオヤジはやり返さずに精一杯な睨み返しで応戦。それに少々ビビった酔っぱらいは、相手の臨戦態勢を前に、謝ってしまう。しかしながら、条件反射的に謝ってしまった事に対して、今度は小さな小さな自尊心を守る為の’’ほっとレモン攻撃’’に打って出たというわけだ。そして最終的に、どつかれるほどではないが、押されている。やれやれである。(『押されている』では文章に迫力が出ないので、書き手としてはせめて少しどつかれてほしいところだが、嘘を書く訳にもいかない)


 もうどうでもよい話なわけだが、ここに小さな世界情勢を垣間見ずにはいられない。大なり小なり、世界和平の均衡とは所詮こんなものだろう。そもそも、真っ当な理由など無いのだ。真っ当という概念自体が、国や地域、宗教はたまた集合体によって異なる。各団体の真っ当をかざして先にケリを入れる事が、遥か遠い昔から繰り返されている。


 今回は、蹴りを入れた酔っぱらいがフランス軍だとすると、迷惑な酔っぱらいオヤジはイスラム国で、車内の味方は国連に当てはまりそうだ。(浅はかな発言はご容赦頂きたい。私も酔っているのだ。)


 私のお説教は全く耳に入らないようなので、アフロの板前さんに助けを求めることにした。カウンター越しの存在感と見た目のご利益は、私の比ではない。


 「こいつに説教して上げて下さいよ。」と私。状況を説明。


 「○○君さぁ、そういう時はまず、迷惑ですよ。と声をかけなくちゃ。」


 うんうん、と私。メモメモ、と私。


 結局その後も、○○君は席を立つ度に豪快に椅子をひっくり返し、私よりも遥かにご利益のあるお説法に耳を傾け、無事に改心に向かうのであった。


 店を出ると、私もすっかり酔っぱらいだ。明日の現場入りまでは5時間を切っている。世界はバラバラなんだなぁとしみじみ思い、曇った夜空に星野源の『ばらばら』という歌が浮かぶ。逆に「世界はおやすみ」などといった甘ったるい歌がミスマッチな帰り道だ。明日に向かって天気は下り坂だという。


 世界は一つじゃ無い。遠い昔から変わらないことだけれど、それでいい。それでいいから、誰もが安らかな眠りにつける、そんな世界へ向かって欲しい。今も星空に怯える夜が世界のどこかで続いている。


 そう思うと、隣の酔っぱらいを蹴り飛ばしたくなってくる。まだ少し残っていたらしい『ほっとレモン』をポケットから取り出し飲み干したその姿に、その思いは一層強くなるが、ここで私が足を出してしまえば、また負の連鎖が始まってしまう。そして何よりも、こんな情けない酔っぱらいにゴチになっている私にその資格は無い。さながらフランスに便乗するアメリカのようではないか。


 大なり小なり『ほっとレモン』の事件は世界情勢の縮図に違いない。


 車内で泥酔をしていたおじさんが、このsketchの愛読者では無い事を願い、そして愛読者であったとしても、決して負の連鎖を引き継いでもらいたくない。


 明日にはきっとベトつくはずの洋服も、私の友人の事も、どうか水に流して良い年末を迎えて頂きたい。


 


 

sketch/2015.12.21【師走の朝】

朝。「もう今年は店終いでもいいよね。今日から休みたい。」と、スタッフに相談。「いやいや、土曜定休でしょ、一応。」とスタッフ。そして沈黙。「でも、やる事多すぎて」と私。「そんないい加減じゃ、スタッフ雇ってもついて来ないよね。」とスタッフ。そしてまた沈黙。「じゃあやろう。今日と明日は開けよう。」こうして朝のミーティングを終え、無事にguzuri珈琲店の一日が始まる。


師走の朝である。

sketch/2015.12.20【師走の夜道】

夜の道を歩く。坂道を下りきると入間市駅だ。夜風にこめかみがキーンとなる。ニット帽をかぶってくれば来ればよかったと後悔しながら、思い出した様にダウンのフードに手をかける。体の芯まで冷えきってしまい、「帰りはタクシーを捕まえよう」とブツブツ思いながら歩く。この坂道を歩くのは何度目だろうか。


 年が明けた1月9日でこの町に来て9年が経つ。2006年の丁度今頃は、イギリスにあるノキアのエージェントから私の口座に大金が振り込まれた。そのすべてが引っ越し費用に消えたお陰様で今の私があると言っても過言ではないだろう。毎年この時期になると、私の人生の中でもかなり幸運だった出来事を思いだし、いつまでも過去の栄光に浸るのだ。師走の酔っぱらいには充分すぎる酒のツマである。


 しかし残念なのは、肝心の楽曲と映像が使用されなかったという事だ。返してくれと言われても、私上最高額のギャランティーはもう無い。社会に出てからもバブル経済の恩恵に預かったことのない私だが、世界的な大企業の恩恵には触れることが出来たのだと思うと、目頭が熱くなる。実際、夜風はますます冷たく目頭は熱くなるどころではない。そして、アジアの片隅のミュージシャンと契約書を交わし、大金を振り込んでしまった担当者の進退も気になるところだ。


師走の夜道である。

sketch/2015.12.19【力こぶ】

幸せな仕事を終えて帰る道すがら、ちょっとオムレツが食べたくなる。だいぶワインを飲んだから少々千鳥足だ。ギターが肩に食い込むし、少し休みたい。期待通りに灯る看板に誘われて店内へ。TVの中では「どっちの料理ショー」で広末涼子が腕を振るっている。だいぶワインを飲んでいるので、ここでビールを始めてしまうと、翌朝までひびくコースだ。しかし酔っているのでおかまい無し。そしてプレミアムモルツとたらこオムレツという、プリン体のゴールデントライアングルを注文。


 広末涼子の隣で腕を振るうこの店の大将は筋骨隆々で、商店街を自転車で走っていると一目でわかる。メーカーズマークのボトルが私名義で入っているはずだが見当たらないなぁ、とか思いながらも、半年以上ぶりなので気まずくて聞けない。大将の力こぶの威圧感も半端ないので聞けない。結局最後まで聞けない。そして大将のぶっきらぼうな接客と、ふわふわなオムレツとのギャップ萌えを味わいながら今日の事を振り返る。


どこへ行ってもそうだが、演奏中にやかましくする子供たちに、悪い気分がしないのはなぜか考えていた。大人のやかましさには、はらわたが煮えくり返るのに。テレビの中の広末涼子と、目の前の筋骨隆々の大将の料理姿を見比べながら考える。オムレツは今夜も絶品だ。調子にのってカキフライも注文。CDが良く売れたので気前もいい。しばらくボーッとテレビを眺める。広末涼子の作る料理も完成した。「広末、同い年かぁ。松坂大輔も、朝青龍も同い年かぁ」と、どうでも良い思考と共に考える。


考えていると、結局私も子供達と同じなのだと思い始める。子供に黙れと言うのと同じ様に、私に歌うなと言っても難しい話だ。私も子供達同様に「しょうがないなぁ」という世間の大きな目で許されている気がしてならない。彼らと違うのは、人様の前で表現をさせて頂いているという謙遜と、自尊との対立構造が、どうしようもなく拭えないという問題を抱えているというぐらいで、実際私の周りの人間達は、私を大きな目で「許してくれている」。あとは、子供達のように無条件に許されるはずが無いので、社会的な肩書きや信用をせっせと取り繕い、表現を続けている。


とかなんとか考えてみたもののまとまらない。カキフライの衣だけはオムレツのように滑らかにまとまり、見事な一体感をみせているが好みではない。もっとざっくりした衣が私は好みだ。「カキフライの色も形も、自慢のオムレツナイズなんですね。」などとは酔っていても言えない。大将の力こぶを見ると何も言えない。


 さて、「ガキども〜、うるせ〜なぁ」と思いつつも、彼らの無邪気な振る舞いについ顔がゆるんでしまうのは、紛れもなく私が広い心の持ち主であり、そして「子供達に頬笑んでいれば好印象だ」などという少々下世話な心のミクスチャーであり、とても人間味があるなぁと、2杯目のプレモルを傾ける。この時点で二日酔い確定である。


 最後に、今夜ぎゃーぎゃーやかましかった美しい天使達へ。きっと人生のどこかで(かなり早い段階で)今は許されているその表現を、頭ごなしに否定される日がくるだろう。そして、君たちの美しさは次第に影を潜め、忘れ、まるで無かった事の様に消えてしまうかもしれない。(因に私は中1の国語の授業で、自分のユーモアを粉々にされた。それから、私は随分つまらない子供になってしまった。この話はいつか。)


 そんな時は思い出して欲しい。今夜あの場所に居た、沢山のやさしい大人達の事を。(酔っぱらいばっかりだったけれど)


 そして、いい年したおじさんが、一生懸命歌っていたことを。


 さらには、決して大人の力こぶには屈しないで欲しい。今晩の私の様に。


 

sketch/2015.12.18【スターウォーズ】

四年に一度、どこからともなく現れるサッカーファンのように、にわかスターウォーズファンの私はいそいそと公開初日のレイトショーに出かけた。にわかと言っても、高速移動のシーンに魅せられて早26年。地域で唯一のレンタルビデオ店TSUTAYAが、小学校の頃すでに実家の徒歩圏に存在していた恩恵はあるにせよ、何度もビデオを借りて観ていた。図書館のレーザーディスクにもお世話になった。なのでにわかと言っても、子供の頃から好きなんだぜ!というプライドだけは高くそびえ立ち、始めて組んだバンド名はR2という、イタい経歴の持ち主である。


 にわかファンの私はシリーズを一つも観た事の無い連れに、フォースのダークサイドが何たるかを説明したり、上映後「あれがオビワン?」とか言われると一瞬イラっとくるが、(そもそもオビワンは本編に出ていないし、もう死んでいる)「あれがルーク。ジェダイの正装は柔道着がモチーフになっているから、同じ格好なの。」と親切丁寧な説明も出来る。しかし「ハリウッドで始めて黒人を起用したのがスターウォーズなんだよね。」とか言い始める強者を前にすると、もうお手上げである。一時期はせっせと集めていたフィギアやグッズも随分前に処分してしまった手前、もう自分の中のスターウォーズに対する想いを熱弁する資格さえ無い様に思えてならない。マクドナルドに通い詰めて揃えたボトルも、ペプシのキャップも、地方で古いおもちゃ屋を見つけると掘り出し物が無いか必死になっていた頃も、遠い過去の記憶。最後まで残しておいたR2-D2のフィギアも行方知れず。


 というわけで、ここ暫く何年も私のスターウォーズ熱は影を潜めていた。セブンイレブンが騒ぎ立てているプロモーションが目に入ってもどうってことなく、安っぽいグッズを見ては尚更にスカしていた。当然、映画を観る前まではフラットな精神状態を保っていた。しかしながら、幕が上がり、黄色のアルファベットが銀河に吸い込まれて行くお約束のオープニングが始まると、今が歴史的瞬間なのだという実感が瞬く間に巡ってきた。アルファベットがすべて銀河に吸い込まれ、「くるぞ、くるぞ、下にパンして、宇宙船がくるぞ~」という期待が的中する頃には、すっかり座席から身を乗り出していた。


 ハン・ソロの現れた瞬間などは、「彼のハワイ島の別荘を遠目に眺めた事があるんだぞ俺は!!」などと訳の分からぬ親近感を抱き、レイア姫が登場したときなんかは「レイア姫以外でこの女優を見た事があったか?やはりレイアはレイアだ!」などと感動し、ルークの登場に至っては、何かのパロディーを見ているかのような錯覚を起こし「ここで笑っては行けない!」と、かっぷくの良いルーク・スカイウォーカーを肯定する事にとにかく徹した。


 進んだ現代のテクノロジーに屈する事無く、シリーズ通してのアナログ感や、「っんなアホな!」な脱出劇も健在であり、何よりオリジナルの登場人物が30年以上経っても揃っている事態が涙もの。はっぴぃえんどがオリジナルメンバーでステージに立っているようなものだ。ルークが私の想像を裏切ってくれた事なんかはどうでもいい。むしろ愛着は増している。


 四年に一度、どこからともなく現れるサッカーファンのように、にわかスターウォーズファンの私はいそいそと公開初日のレイトショーに出かけた。入間の映画館で、こんなに人が入っている状況に遭遇することは始めてだった。駐車券の精算機は10人程の大行列を見せ、映画のグッズを買い求める人が、一坪程のコーナーに溢れかえっていた。エレベーター前はごった返し、最高でも2回は待たなければ乗れなかっただろう。しかたなく非常階段で8Fのパーキングへ向かった。


「じゃあ、あのマスクの人がアナキン?」連れのすっとんきょうな質問にも一瞬イラっとするが、「アナキンはダースベイダーで、あのマスクはダースベダーの娘の息子なの!」と、親切丁寧な説明が階段室に響き渡る。


 私の右手にはパンフレット。過去、幾度となく廃品回収の候補に上がっては難を逃れてきた全6タイトルのパンフレットに、今夜めでたく仲間入りするのだ。

sketch/2015.12.17【カントリーロード】

 ヤフオクでゲットした無印のベッドフレームを引き取りに車を走らせる。多摩寄りの八王子までの道のりは、guzuriのゲストルームに念願のベッドを導入するためだ。


 甲州街道を尻目に多摩川を渡った辺りから始まる丘陵には、山の斜面に所狭しとコンクリートマンションが立ち並ぶ。子供の頃からなぜか団地の子に憧れていた私は、今でも団地群を見ると胸がときめく。そしてほんの少し駆け抜けただけの、しかも始めての町に、胸を締め付けられる思いがするのには訳がある。


 ふるさとの富士宮には富士フイルムの社宅の団地群があり、それに隣接している形で私の所属していた野球チームのホームグラウンドがあった。区画整理された団地の奥には大人の使う野球場があり夏祭りもそこで行われていた。始めて出来たガールフレンドの白いスカート、盆踊り、友人らが私たちをちゃかす声が今でも甘酸っぱくきこえてくる。ふるさとの団地とは比べ物にならないスケールではあるが、思いがけず迷い込んだ多摩ニュータウンの団地に、もう一つの甘酸っぱいエピソードを思い出さずにはいられない。


 あの日私たちは、身延線で富士駅まで、それから東海道線へ乗り継いで静岡市内を目指していた。彼女は白いスカートで、私は真っ青なTシャツを来ている。真夏の車内は満席で座る事ができず、冷房もそんなに効いていなかったんじゃないかな。不意に具合を悪くしてしゃがみ込む彼女。肩を抱いて介抱することなど14歳の私には到底出来ず、せめて窓からの強い陽射しをと、手持ちのハンカチタオルで影を作っていた。富士川を渡る橋の辺りからだったので、すいぶん手が疲れた。例えば、朝礼でなかなか解かれない”前へ習え”と同じ様に疲れた。


 静岡駅に着くと彼女はケロッとした感じで歩き出したのでほっとした。地下道を抜け、札幌かに本家と西武デパートの間の階段から地上へ出る。真夏だ。コンクリートジャングルの中でオアシスの様に佇む神社を横目に商店街を抜けると、ゲームセンターや映画館のある筋へ出る。目的地は映画館だ。「いつの間にかプルタブが分離式じゃ無くなったよね」などと恥ずかしさを紛らわしながら、同じ缶のウーロン茶を交互に飲みながら歩いた。


 静岡の街は友人のYくんと何度か来ているので、とにかく田舎者っぽくない様に全力を注いでいた。彼女にも抜け目の無さを全力でアピールした。14歳の頭脳を駆使して。何となく映画を観に行こうと誘っていたので、演目は着いてからその時やっているものにしようという事になっていた。しかし私の中での演目は既に決まっており、時間もチェック済みなので、辿り着いたらその映画が運良く始まるはずである。14歳はそこまで計算していた。


 映画館の受け付けでチケットを買おうとしたその時、大きな看板が二つ、二人の目に飛び込んできた。「耳をすませば」「ウォーターワールド」。しかも同じ時間帯である。まずい。と思った。私の中で、偶然始まるはずの映画は一つであり「ウォーターワールド」は論外だ。字幕だし。初デートでわけのわからないSFを見るなど論外だ。偶然やっていたのがアニメで、しょうがなく「耳をすませば」を見る。それでよかったのだが、そうも行かなくなってしまった。「どっちが観たい?」彼女も決めかねている。時間がない。「耳をすませばにしよう。」などとは、恥ずかしくて言えない。そういう年頃なのだ。「コイントスで決めよう。」私がそう言うと彼女もうなづく。天に祈った。「どうか耳をすませばにしてください。」と。10円玉が宙を舞った。


 あの日の帰り道で覚えているのは、字幕スーパーにも内容にも全くついて行けなかった無念と、「あの女の子、すごかったね。」「うん、そうだね。」という感じの会話だけで、映画の後にぶらついたはずの静岡の街のことも、帰りの電車の記憶も今のところ全く甦ろうとしてくれない。当時よく流れていたウォーターワールドのテレビCMだけは、今でもなんとなく思い出せるというのに。そして10円玉は、はっきりくっきりと10円玉だったと思えるのに。


 地元へ帰り、川沿いの道を二人で歩く。気がつけばもう、橋の向こうは彼女の家だ。夕方だけど、まだまだ陽が高く明るい。「ここでいいよ。」という言葉はあの日以来、嫌いになった。そして別れ際に振り向かない女の子を見ると、今でも切ない。夏休みが終わり、友人にちゃかされる事も無くなった。中3の夏の事だ。ギターを弾けていたら、きっとその年がシンガーソングライター元年になっていただろう。


 翌年の夏、早々に金曜ロードショーで放送されたそのジブリ映画を、私はたまたまつけたテレビでみかけた。始まって少し経っていたけれど見続けた。冷房をよく効かせた部屋に、裏の田んぼから聴こえる虫の声。ポケベルが全盛期でみんなが広末涼子に夢中だった高1の夏。ブラウン管のテレビデオからは、中3の夏と恋と夢と、坂の町、そして団地も描かれた、これでもかという青春のストーリー。そして甘く切ない程に、もう一度繰り返そう、’’甘く切ない程に’’あの日同時上映をしていたウォーターワールドに腹が立ち、ケビンコスナーにはもうしわけないが、彼にも腹がたった。あの日、この映画を見れたならば運命は変わっていたかもしれない。本気でそう思う15の夜だった。盗んだ自転車でビクビクしながら走り出すのが関の山だった15の夜である。そのあとも彼女のことは通学の電車でたまに見かけたけれど、話をしたのは一度きりだ。


 多摩ニュータウンの団地を何となく走り抜けるのが惜しくて、コンビニに立ち寄る。’’中学生くらいのカップルがたむろしている。’’とかなんとか書きたいところだが、たむろしていたのは小学生の男の子たちだ。きっと団地の子だろう。5人くらいでスターウォーズのポスターを指差し、人気投票をしている。R2D2の後継であろうロボットが一番人気だ。私もかつてのバンドをR2という名にしていたくらいだから気持ちは分かる。


 あれから20回目の季節が始まっている。カントリーロードを口ずさみながら丘陵のアップダウンを繰り返して、ヤフオクの出品者のもとへ。ふと川沿いの道へ出る。見覚えのある景色は、映画で出てきた川沿いの道に違いなかった。もう一度カントリーロードを口ずさんでみる。


今夜からまた一段と寒くなりそうだ。

sketch/2015.12.16【そらみみ】

夜な夜な行く店は、実に見晴らしが良い。大将の指先から生み出される美しい料理は、回復へ向かう私の体に優しく染みる。「今年は忘年会が少ないみたいですね。」などとカウンター越しに話しかけてくる。「わたし、忘年会嫌い。」などと連れはぬかしている。僕は大好きだのに。と胸の中でつぶやく。粕汁にシャケの入ったお通しが、すこし早い年始の香りを漂わせている。今日の出来事をうち明かすとぎれとぎれの会話の隙間に、後ろの席のたぶんカップル未満の酔った二人のはしゃぎ声がうるさい。うるさいんだけれど、和む。対照的に、公開中の映画のチラシを眺めて「これもリリーフランキーだね。いいとこ取りだね、リリーフランキー。」「だね〜。」どこにも繋がりそうもない会話に糸口をさがしていると、ふいにカウンターから出てきた大将が手にしているのはその映画のパンフレット。「大将、見たんだね。」受け取ったパンフレットをめくりながらリリーフランキーの話もなんとなく続き、九条ネギの肉巻きのあとには、スルメイカの野菜炒め。最後にしめ鯖の寿司が出てくると、カウンター越しからまた、「少しサービスしときました。」と、再びの大将。間髪入れずの配膳女子は「お茶をお持ちしましょうか?」と、いつも通りの優しい声色。ぐるりと店内を見回す。いつの間にか、たぶんカップル未満の二人の姿も無く、スピーカーから流れてくる曲に耳が行くほど静かだ。その背景には換気扇のまわる音と冷蔵庫のコンプレッサーの音がする。「今日はお酒はいいの?」コンビニで本を立ち読む私に問いかける声。「うん、今日はお酒はいいんだ。」商店街のポスターも季節感が全面的に打ち出され、ご当地のゆるキャラ達も忙しくなりそうだ。小雨が降り出している街を歩く。お通しの粕汁に効いていたゆずの香りがほんのりとフラッシュバックする。「わたし、忘年会嫌い。」そらみみまで聴こえてくる。

sketch/2015.12.15【迷惑かけてありがとう】

ようように、抗生物質に頼ろうかと明け方のベッド。体を起こすと、痛みのもとから見るもおぞましい謎の塊が出てくる。そのあとは少しずつ鎮静していく。guzuriを開けて、ポストをチェック。スタッフ募集の履歴書、無し。週末のコンサートに向けて歌いたい所だが、歌い始めるとまだむせ返る。ギターを弾き、細々とした声で歌う。一次は満席近くの珈琲店も、ストーブの色が温もりに変わる時間に差し掛かると、これがguzuriの平和な時間だと言わんばかりだ。その光景に私の懐は決して平和ではないが。テラスに焙煎室を作り、ピアノの上に簡易ロフトをこしらえ、店内の音響システムを充実させ、さらにボックス席を二つ、新しい洗面台を造作し、コントロールルームは新しいスピーカーケーブルにして、ケーブル類の自作の為に半田の習得、さらにはエアストリームの応接室の椅子にクッション、その他の造作、スタッフに店を任せ、私は大工やライブに出かける。とても年内には実現しそうにない。上げれば切りがなく、果てしない行程が浮かぶ。こんな事をしながら来年で10年目だ。神に感謝する。そして私の周りで手を貸してくれている人々に謝罪と感謝の入り交じった気持ちでいると、今日もどこかのステージで響き渡っているはずの名言を思い出さずにはいられない。「迷惑かけてありがとう!」byリクオさん

sketch/2015.12.14【秋の味覚の代償】

活きたホタテを刺身にして、幻の瀧という名酒で頂く。空腹にすっと馴染むのどごしと後味。体を温めるという名目で酒をたしなむ。この秋は頂き物で満喫した。栗、銀杏、ホタテ。どれもそのままでは食べられず、美味を覆う殻と格闘するところから始まる。栗は薄皮煮、銀杏はあぶり、ホタテは刺身にした。どれも横着の効かない行程を必要とし、それがまた豊かな時間だ。などと、、キレイごとではない。ホタテは慣れたもので、経験者の私にはどうってこと無かったのだが、栗の皮なんかは初めて剥く。レシピも調べず始めたものだから当然うまくいかずイラつく。その後も延々と煮込みの繰り返しで薄皮をはいでゆく。銀杏などは、臭い果実をもくもくと洗い流し、その後も実に面倒くさい。それでも、数時間もあれば食卓に並ぶ料理へと変わる。そしてその味わいに、豊かだ〜と舌鼓を打つ。しかし肝心の体を温める名目で飲みはじめた酒は結局深くなり、素晴らしいのどごしと後味も、翌朝には再び喉の激痛へと変わってしまうのだった。

sketch/2015.12.13【風邪奮闘記③】

申し訳ない気持ちだが、店を早仕舞いする。手つかずのことだらけだが、一つずつ片付けて行く。以前から検討していたスタッフ募集もそろそろしなければいけない。頼まれている仕事も溜っている。体調も今ひとつ。この期間にコンサートがあったと思うとぞっとする。きっと無理して歌うのだろうけれど。実際のところ、震災数日後の下北沢lete公演以外でライブを飛ばしたことは記憶の限り無い。(あるグループには申し訳ないがアラスカに不時着してしまった時は数に入れない)早仕舞いをして、領収書と請求書の束もやっつけた。気がかりなことは「いつでも大丈夫です。」という類いの仕事が手つかずのまま1年以上経つ。非常に申し訳ない気持ちでいるのだが、もう一つその類いの仕事が入ってきているので、さすがに焦る。どちらも既に着手はした。道具も揃っている。体調だけが整わない。

sketch/2015.12.12【風邪奮闘記②】

頭痛と喉の痛みで眠れず、そして観念した。たしか年始に処方してもらったロキソニンがあるはずだと思い、重い足取りでベッドを出る。まだ夜が明けたばかりだ。ロキソニンを服用。10分と経たないうちに、倦怠感と喉の腫れぼったさを残したままだが、痛みと言う痛みは消えた。guzuri珈琲店初の定休日は、何も出来ないままベッドの上にいる。それでも新しいアレンジの浮かんだギターのフレーズを録音したりしていると薬が切れてくるので、生姜湯でロキソニンという薬物を流し込む。果たして、空腹にロキソニンが良いのかも分からないのでヨーグルトも同時に服用。その繰り返し。

sketch/2015.12.11【風邪奮闘記①】

もう深夜になって、喉の痛みがぶり返し、さらに空腹と酒が欲しくてたまらない。頭痛もする。今飲んでしまっては悪化する。悪化すると分かっているが、コンビニのレジに並ぶ私の手には竹鶴。さっきまでは、どうしても深夜寿司だと思っていたが連れも居なく、一人だとしても行けば深くなりそうな気がしていた。その煩悩を断ち切ったご褒美としての竹鶴なのだから始末が悪い。やけに暖かい夜風。月で明るい空には鱗雲が不気味に漂う。明け方までの豪雨もこの暖かい空気が運んできたはずで、日が暮れるまでは小春日和で眩しい午後たっだ。日が暮れてからは風が強くなりはじめたけれど夜の冷え込みは浅い。今夜が底冷えする日ではなく心底有り難かった。ほんの舐める程度の飲酒で眠りにつく。

sketch/2015.12.10【幸せと呼べよう】

図書館で本を探す。棚の数字とプリントアウトした検索用紙を照らし合わせる。徐々に近づくドキドキ感。まさか図書館でこんなにワクワクしている34歳になっているとは思ってもいなかった。読書が嫌いな少年だったのだから。またしてもイスラム圏を舞台にしたノンフィクションが目当てだ。実際に国内を旅する時でさえこんなにワクワクしないのだからちょっとした中毒のようだ。図書カードを無表情で受付に差し出す私の心はすでにウキウキしている。まだまだ読みたい本がラインナップされているので暫くはこのウキウキ感が楽しめそうだ。街路樹が色づき、マフラー姿もちらほら。地下の駐車場へ降りる階段でも鼻歌まじりだ。万事うまくいっている訳ではないし、ここ数日私を悩ませる慢性的な頭痛を抱えながらだが、それでもこの足取りの軽さは幸せと呼べよう。

sketch/2015.12.9【小便小僧バスターズ】

立って小便をするなという警告が、guzuriのトイレには貼ってある。2007年から貼ってあるこの【CAUTION!】に一体どれだけの人間が気づいているだろうか。トイレ掃除の度に便座が上がっていると、またかと肩を落とす。私の将来の目標は、小便器と大便器の両方が備えられた家に住む事だ。実際私の知っている成功者の家は軒並みそういう仕様になっていて感動する。この注意書きは、今はジブリで働く後輩が学生の頃につくってくれた。私のオーダーはゴーストバスターズのマークを小便小僧バーッジョンに、というものであったが実に良い出来だと思っている。当時、商品化してビレッジヴァンガードに展開したらバカ売れするのではないかと舞い上がったが、結局商品化していない。さて、本日も便座が上がっている。張り紙が見えにくいのではと思い、先日位置を少し下げたが結果は散々だ。そもそも、デザインが分かりづらいのか、それとも無視されているのか、さらには気づいていないのか。無視されているとは考えたくない。ということは、張り紙には気づいているが意味が分からない、さらにはその物自体に訴える力が無いという欠陥が浮かび上がってくる。そして思う、商品化しないでよかったと。在庫は出来るだけ抱えたくない。2011年に大量に刷ってしまったCountryMadeのダンボール箱(ずいぶん減ったが)の隣に、ゴーストバスターズならぬ小便小僧バスターズのプレートがいっぱい入ったダンボール箱が重なっていると思うと、ぞっとする。

sketch2015.12.8【秘境へ出かけたら】

今年の正月以来にこじらせている風邪が私にもたらしてくれた休日は、また新しい本をあっさりと読破させてくれた。きっと明け方だろうから時計を見ずに読書灯を消す。暗闇の中、また少し私の世界を見る基準が動いたのを感じる。夢をみたけれどあまり覚えていない。ただ、砂漠の中を旅しているような夢だった。凝り固まった頭をほぐすにはノンフィクションが良い。世界の誰も知らない秘境を訪れた、そんな物語に、来年から珈琲に消費税をかけようかかけまいか悩む頭の中で出会うと、当然のごとく消費税をかけていこうという結論になる。自分の身は自分で守らなければいけない。結局この頭の中はほぐれたのか、さらに凝り固まってしまったのか定かではない。残念ながら私のノンフィクションは、風邪だろうがなんだろうが後から後から追いかけてくる請求書の山の中に埋もれていて、今秘境などへ出かけたら裁判沙汰が目に見えている。そして私には、この請求書の山を登頂し続けることが、秘境へ出かけることよりも困難に思えて仕方ない。

sketch2015.12.7【染みる夕焼けと喉スプレー】

夕方、空が開けた道へでると、ほうき星のように尾をつけた飛行機がいくつも空に散らばっている。遠くの方まで見渡せる県道からは、富士山の輪郭が浮かび上がる。関東のほとんどの場所から確認出来るあの山の向こうは、私のふるさと。今日の夕焼けは、きっとあの山の向こうでも同じく美しいのだろうと想像できる。ガタついたマフラーと、壊れかけのワイパー。ナットの位置を少しずらしただけで回復したミッションで快調な走りをみせる愛車。アビットテクノロジーのカスタマーサポートで初めて体験したPCのリモート操作。過去と未来が交差する夕暮れが過ぎて、夜がやってきた。足下が冷える。昼間張り替えた弦は、マーチンのSPとダンジェリコのミックス。今朝方までの頭痛も少し治まるが、風邪の症状は続く。アズレンの入った喉スプレーが染みる。今日の夕焼けも胸に焼き付いていて、いつになっても想い返してしまう夕焼けの一つになりそうだ。

sketch2015.12.6【今夜も事なきを得る】

いつの間にか体重が20代前半時くらいまで落ちてきている。ここ数日の体調不良もそれが理由なのかもしれない。そうに違いないので、良い物を食べなければいけない。どうしたら良いのか考えたあげく、昨日のリベンジのごとくいつもの店に電話をする。頭痛は収まらないが、今夜はどうしても良いものが食べたい、酒も飲みたい。「今日は大丈夫ですかね?」と私。電話越しのざわめきに嫌な予感。「笹倉さん、今日貸し切り営業なんです。」と申し訳なさそうな声。二日連続で断らせてしまった私も申し訳ない気持ちになりながら電話を切る。お陰さまで今夜も早くベッドに辿り着き、事なきを得る。

sketch2015.12.5【事なきを得る】

私の場合。鼻の奥に違和感、そして徐々に痛みへと変わり、その痛みの元は喉の方に落ちてゆく。鼻の奥に違和感を感じた後は、もうこの流れに逆らう事は困難で、いくら薬を飲んでも同じだ。次第に体はだるさを増し、頭痛がしてくる。いっその事、大熱でも出してこの症状とも一晩でおさらばしたい所だが、なかなか38度以上行く事は無い。ここ数日は酒も止めていた。コンディションを整え一気にデモの制作のつもりでいたのだが、酒を止めたのがいけなかったのか。毎晩のアルコール消毒が私をウイルスから守っていてくれたに違いない。違いないので、今日は頭痛を押して酒を飲むと決めた。きしむ頭を早く酒で鎮静させるべく、いつもの店に電話をする。電話越しのざわめきに嫌な予感。「笹倉さん、今、満席なんです。」と申し訳なさそうな声。おとなしくベッドに潜り込んで事なきを得る。

sketch/2015.12.4【夢の印税生活】

秋の朝はウインストンのオータムがいい。もう10年以上前の秋が、モーニングタイムの喫茶室に流れるピアノの音色で浮かび上がる。「パークサイド」という曲を思い出す。当時珈琲店で働いていた私が、休憩時間に使っていた喫茶店の名前だ。「木枯らしの頃」という曲もある。「カーテンが揺れると」という曲も秋のものだ。最近作る曲よりも、描写に気配を濃く感じる。誰かに認められなくても、これは最高なんだという保身の固まりの時代。(今もその傾向はあるが)少し歌ってみると、どうやら今の私に歌ってもらう為に’’あの頃の私’’が書いておいてくれたような気がしてならない。そして私はそんな時、些細なノスタルジーからの酔いに任せ、自分の生き方に正当性をこじつけて納得しようとする。珈琲と音楽がきっと連れて行ってくれるであろう、遥か彼方の印税生活を夢見ながら。

sketch/2015.12.3【ストーブに灯るもの】

ドアのベルが一向に鳴らない。いつの間にか、めくるページに西日の木陰がチラついてくる。今年もこの光の季節か。500ページに渡るソマリアの書物を読破し、深い溜め息をついた。PCに向かいミックスの仕事を進め、アップロード&メール。そうしてまた珈琲をのみ、私自身もマイクに向かう。歌については、明かに良くなっている部分があるだけに、正五角形の評価にしたら凹みのある個所も出てくる。そこが気に入らない。season3のデモ録りをようやく始めている。そして一向にベルが鳴らず、閉店。この季節、客の居ない店内を暖めるストーブを見ることほど頭が痛い事は無い。お陰さまで、私の野心にも火が灯る。

sketch/2015.12.2【40年後に】

狭山やこの辺りを舞台に何かをつくろう云々という話をしているテーブルに珈琲をサーブする。本日のguzuri珈琲店では、歴史的な人物達が貴重な話を繰り広げているので、つい耳をそばだてる。この地域の音楽史に詳しい人々にとって、私の暮らしはどんな風に映るのだろうか。あの頃と今をどんな風に見比べているのだろうか。今から40年後に、今の私のようにこの土地を訪れる若者がいたのならば、私はその暮らしを是非見てみたい。

sketch/2015.12.1【羽根を付けた札束のゆくえ】

あるグループにプロデューサーという役割を任されている。小豆島へ渡るフェリーの中で打診を受けてからまる2年のこの日、プリプロが始まった。プロデューサーといっても幅が広いので、今の所は無料でスタジオを提供するくらいしかしていない。金の話は後だ。この時点で、職業としての自覚の無さなのか、気前が良いのかどちらとも言えないが、お互いの信頼だけは深そうだ。マイクを立てて音が始まると、札束は羽根を付けて舞い上がり、純粋に音楽の世界を羽ばたいて消えてゆく。良い音楽に触れている限り私の心は安泰だ。