sketch/2015.12.24【クリスマスは大好きです】

地上62mへ向かうカゴの中で、目の前の連れはギャーギャーうるさい。どうやら高所恐怖症らしい。


 西の空ではサンセットが始まっている。友人の家も見える。「あれが所沢で、ツインタワーがあるから、あそこは小手指だ。」とか、とにかく目に入るものに説明を付けて気を紛らわす。てっぺんを超え下降を始めると気持ちは徐々に穏やかになる様子で、私も同じであった。実は私も高いところが得意ではない。


 小林幸子がプロデュースしたらしいイルミネーションは、想像をまずまず上回る美しさ。昭和の名残のように佇む東京の西の外れの遊園地は、妙に居心地が良い。今時珍しいインスタントラーメンの自動販売機で空腹を満たしたり、あと20ほど若ければ大満足であろうマジックに興じる35回目のクリスマス・イブ。ライトアップされた乗り物なんかに乗っていると、不思議と異国情緒まで感じられる。
 
 お次ぎは地上80m、展望タワーからの夜景に西武グループの威厳を感じ、どこまでも続く平野の夜景に、なんとも言えない敗北感まで漂ってくる。何に対しての敗北感なのかもはっきりしないまま、展望タワーは回転を続ける。そして後を追うように私の思考も回り始めた。


 『私も立派な大人になった。そこそこ反抗期もあったが、クリスマスには抵抗をしなかった。いつしか、サンタが架空の存在だという悟りを開き、さらにはキリスト誕生の日という、およそ我々民族とは無関係な人間を祝うミステリーにも目をつぶった。そしてたまたま迷い込んだ夏祭りきさながらに、神仏そっちのけで金魚すくいを始めてしまっているような、とっても無邪気なこの国のパロディーにも無抵抗だ。』


 クリスマスについては、多くの国民が何かしら思っているはずなので、私がいまさら騒ぎ立てる事ではないが、園内のクリスマスムードが、いつの間にか私の反骨精神を煽り始めている。しかし、今日の日を台無しにする訳には行かない。思いがけず灯ってしまいそうな反骨心などは到底お呼びでない。点灯が歓迎されるのは、幸子のイルミネーションであって、私のパンク精神などではない。


 さて、クリスマス・イブの遊園地、ひときわ高校生のカップルが眩しい。流行りの自撮り棒を手に初々しいが、私から見れば完全に青春勝ち組だ。「親とクリスマスケーキを分け合う思春期の敗北感は知っておいたほうがいい。」などと格言面をする私だが、少し前に乗ったジェットコースターに酔ってしまい足下をふらつかせている。おまけに悲鳴まで上げてしまったので、さっきから連れにからかわれているが、なにやら楽しそうなので悪い気はしない。失態がネタになるのは何よりだ。


 私は引き続き、この国のクリスマスをシリアスに考えているのだが、目に映るものすべてが幸せそうなので、なんだかバカバカしくなってしまう。私のパンク精神も一向に幸子イルミのように灯る気配を見せない。そして人形に向かっては’’幸子’’などと呼び捨てにしているが、本人を目の前にすれば、’’さん付け’’で改まるのが目に見えている。さらには、この幸子イルミネーションを誉め称えるに違いないのだ。私はそういう人間なのだ。とどのつまり、この日を選んでこの場所に来た時点で、そんなシリアスやパンク精神を持つ資格さえ無いのだ。


 暫くしてもう一度、地上80mからの眺望が見たくなって列に並んだ。憧れのパンクロッカーになれなかった私の心は、それでももう一度、あの『なんとも言えない敗北感』を求めていた。


『あの感覚はなんだったのだろうか?』と。(お忘れかもしれないが、本編4段落目に出てくる『なんとも言えない敗北感』のことである。)


 列には、カップル、アベック、家族連れと、クリスマスムード満点の園内だが、どちらかと言えば、眼下の怪しげな’’幸子さん’’の人形の方が、よっぽど私の心情との重なる。「幸子さんは、どこまでプロデュースをしたのかなぁ。」とか、「プロデュースの定義は広すぎて曖昧だ。」とか、いちいちケチをつけてみる。そんなつまらない話に、隣の連れは話半分の面持ちだ。相づちも見受けられないが、来年プロデュース業が待っている私には、決して人ごとではないのである。


 さてさて、この西武グループの威厳を見せつけるかのようなジャイロタワーは、空気が澄んでいれば、東京タワーどころか横浜のランドマークタワーまでが見渡せると言う。


 再びの広大な夜景。そして思う。


『この感覚は敗北感では無いのだ』と。


そもそも始めから勝負すら無く、さながら『支配』という響きの方がしっくりくる。


 それでいても尚、この国のクリスマスを’’一生懸命’’シリアスに考えてみるのだが、やはり私の目に映る景色とは、あまりにも対照的だ。そして美しい夜景を前に『私がいくら考えても仕方の無いことなのだ』ど、安堵をおぼえる。(思考放棄とも言う)


 しかし、タワーが下降をする程に迫ってくる’’幸子さん’’のシュールな横顔と、彼女がプロデュースしたらしいイルミネーションが、『この国のチグハグなクリスマスの縮図なのでは無いのか?』などと、私もまだまだ諦めが悪い。


 不意に、遠くで悲鳴が聞こえる。目を向けるとキティーちゃんが先導を勤める(3歳から乗れるらしい)ジェットコースターが相変わらず役割をまっとうしている。(断っておくが、以外と怖い。)やっぱり話はぶり返しからかわれるが、悪い気はしない。


 ホットドック売りの女の子を見ても、バイト終わりを待つ彼氏が遊園地の駐車場で待っているようなストーリーを連想し、チラと時計を見る仕草にも、クリスマス・イブにしか感じようのないロマンスを見てしまう。


 『支配』という言葉がよぎる。


 『支配は、以外と不幸な事ばかりではないのかも知れない。卒業など出来ないのかもしれない。だれもが尾崎豊のようにはなれないのだ。』(ここまで話が進むと、我ながらお手上げである。)


 今夜は運良く席を確保出来た馴染みの店も、入り口のイルミネーションからしてすっかりクリスマスムードだ。結局のところ、どう考えても、この支配からの卒業は、今夜の私たちにはにふさわしくない。


 扉をあける。


「メリークリスマス!」


 そして、どちらかと言えばブッダ寄りなアフロの板前さんと、彼の繰り出す絶品のティラミスケーキで、イエス・キリストの誕生を祝うのであった。


 めちゃくちゃな話ではあるが、子供の頃からクリスマスは大好きなのだ。