sketch/2015.12.23【どちらも本心である】

私がこの町に居を構えてから来年で10年目だ。いつからかこの辺りはジョンソンタウンと呼ばれる様になり、地域を上げてのイベント事やクリスマスコンサートも毎年行われるようになった。


 ここ数年は目に見えて来場者も増え、店舗の多い目抜き通りはすっかり観光地の装いだ。タウンが進める観光化は、確実にこの町を私の理想郷から遠ざけるものであったし、もちろんクリスマスコンサートへの出演依頼も毎年辞退させて頂いていた。しかしだ、今年はついにクリスマスコンサートへの出演を承諾。私を良く知る人達からは「どういう風の吹き回し?」などという声もチラホラ聞こえてきたわけだが、私の風の吹き回しについては次の通りである。飽きずにお付き合い願いたい。


 この町は常に変化を続けている。隣人の老夫婦の芸術家も、guzuriの隣にあった広いコイン洗車場も、ここが世界の果てかの様な錯覚も、オールドストーリーの中で生きているような気分も、みんな消えて無くなった。少しずつ、目に見えて、着々と無くなって行く9年だった。唯一変わらないのは、guzuriの窓から見える公園の景色だ。私も変わり続けた。長く伸ばした髪を切り、髭ヅラを卒業し、車もワーゲンからボルボに移り、個人事業主から代表取締役に、そしてまた長髪になった。もう一つ変わらないのは「私と別れた女性はおよそ1年以内に結婚する」という、20代から繰り返されている私的ジンクスくらいだろうか。「風の噂では君が嫁いだ」という状態は相変わらずだ。これについては1stアルバムに収録されている『アトリエの冬』を参照頂きたい。


 そして、道へ出れば観光客がカメラを構えこちらを狙っている。うかうかパンツに手を突っ込んでゴミ捨てなどに行けばちょっとした事件だ。観光客の気合いの入ったよそ行きと、私の気の抜けたパジャマ姿では、正当性はどちらにもあるにせよ、こちら側の精神状態の方が明らかに分が悪い。そして、私の精神状態をよそに、タウンの賃貸稼働率は上昇を続け、どうやら空室待ちの状態らしい。


 飽きずにお付き合い願いたい。


 私も肩書きだけは一丁前で、社長業も今年で5年目である。世の中を見る目は、すでにそこそこ経営者の目線だ。この数万坪のハウスの群れを管理する家主の気持ちになれば、この観光化にも十分な理解を持てる。この町の環境管理を考えればパンツに手を突っ込んでゴミ捨てに行く事も自粛できる大人なのだ。そして、今度こそ、私の風の吹き回しについては次の通りである。


 切っ掛けは『アド街ック天国』への出演依頼である。始めはのっけから断るつもりでいた。が、私もすでにそこそこ経営者の目線を持っている。真っ先に思った事はといえば、「出れば、お客さん沢山くるかもなぁ。儲かるかもなぁ。」


 真っ先に思ったことが経済効果であった事は誠に残念だが、くそ真面目な話をすると。そもそも、私がこの場所に身を置くことになった理由は第一に、米軍ハウスの音楽史的な重要性や憧れである。経営者の以前に、ここに来た理由がある。増加を続ける観光客に、これ以上アウトレットに行くのと同じ面持ちでこの町に踏み込んできて欲しくない。只でさえ、パンツに手を突っ込んで歩く平和的な日常を献上しているというのに。


 さらに出演を断れば当然、私が抱くハウスへの想いまでも排除された状態で全国的にこの町が知れ渡ってしまう。そう思う程に、「それだけは何としてでも食い止めなければいけない。」という、極めて個人的な危機感を抱いた。(この時点で、エンタメ性を重視するテレビに対する危機感も抱くべきだったのだが、残念ながら私利私欲もちらついている人間にそんな冷静な判断力は期待できない。)


 結局、2日間に渡る撮影のほとんど、そしてインタビューで語ったハウスへの想いはすべてカットされ、そもそもアメリカンという切り口で『富士宮やきそば』が上位に食い込むはずも無く、結果は13位と惨敗であった。


 放送後は見事に客足が増え、嬉しい悲鳴であった。しかしながら、私のハウスへの想いは、伝わるどころか、恐らく「富士宮やきそばがある珈琲店で、よくわからないけど、歌う人?」という謎めいた認識を植え付けてしまったに違いなく、私の個人的なモヤモヤは募るばかりだ。


 さて、気をとりなおして、今回、私がクリスマスコンサートに出演したのも同じ理由である。私が歌う事で、この町に受け継がれる音楽史を知って欲しかったからだ。世間様に、この町がミーハーな解釈だけで知れ渡るのはどうしても許せないのだ。


 この町の観光化は、いつからか私の中に小さな違和感を生み出し、少しずつ育まれていった。そして『アド街ック天国』という全国的長寿番組を前に、いよいよ逃げも隠れも出来なくなってしまったという訳だ。


 私がこの町に居を構えてから来年で10年目だ。いつからかこの辺りはジョンソンタウンと呼ばれる様になり、地域を上げてのイベント事やクリスマスコンサートも毎年行われるようになった。今日は始めて町の人達と一日を共にした。正直、文化祭のようで楽しかった。


 一次は雨天中止との声も上がったコンサートだが、特別に立てられたテントには、ストーブを囲む私と10名程のアリーナ。外では、傘をさす人、向いの店の軒先で暖をとる人、沢山の人が歌を聴いていた。


 ちょっと時間がかかったけれど「ここで歌う事が出来て本当によかった。」そう思えた。そして四の五の言わずとも、私には歌がある。歌えば人々に伝わる。そんな気がした。


 これまで、タウンが見せる観光化への動きには賛同出来ずにいた。ただ、もしも私がこの町を、目先の利益に捕われて運営するのであれば、とりあえず低層マンションをメインとした開発をするだろう。話によると、そういう選択肢にせまられた時期もあった様子だ。


 


 『アド街ック天国』のカメラが回っている。


 すべてカットされたが、沢山の想いを話した。最後に一つの質問が私に投げかけられる。


 「今後、この町がどんな町になって欲しいですか?」


 すこし考えて答えた。


 「そうですね。賑やかになろうが、廃れて行こうが、この町が無くならなければ、どうなっても良いと思っています。」


 話を続けた。


 「米軍ハウスがこの時代まで集落で残っていること自体、奇跡みたいなものですからね。」


 そして心の中でも回答を続ける。


 「どうせなら、この放送が儲け話に繋がって欲しいですね。」と。


 どちらも本心である。