sketch/2015.12.22【ほっとレモン事件】

「小手指まで迎えに来てくれたら飲み放題。」という迷惑メールにまんまと引っかかり車を出す。入間市駅までの終電車はとっくに無い時間帯だ。


 深夜に寿司を食べながら、お湯割り梅干し入りもすでに3杯目。明日は9時に現場集合だというのに。(現場というのは音響も頼まれているジョンソンタウンのクリスマスコンサートのこと)


 さて、小手指駅で拾った酔っぱらいは相当にできあがっており、席を立つ度にカウンターの椅子を豪快にひっくり返している。そして何やら訳の分からない事を言っている。


 「『ほっとレモン』を迷惑なオヤジにひっかけてやりましたよ。」


 電車内の出来事らしい。(因に『ほっとレモン』とは甘いレモン水を温めた飲み物)


 「絶対に僕は悪くないんですよ。明らかにあのオヤジはみんなの迷惑だったんですよ。」と、みんなの為にやったのだと言わんばかりだ。


 水ならともかく『ほっとレモン』をひっかけられた人が気の毒だし、後日談としても水や酒ならともかく、甘ったるい『ほっとレモン』では被害者も浮かばれない。かくして、今夜の私は酔っぱらいから真相を引き出す事にいつの間にか必死だ。そのうち私まで酔っぱらい、いつしか酔っぱらいの宴と化すのだが、話は次の通りだ。


酔っぱらい:「泥酔したオヤジが寝転んじゃってて、すごくじゃまだったんですよ。明らかに周りも迷惑してたし、僕が代表して蹴ったんですよ。そしたら睨んできましてね。頭にきたので『ほっとレモン』をかけてやったんですよ。」


 わけがわからないしひどい話だ。そもそも、いきなりケリを入れたら当然睨まれる。(私の察するに、蹴ったとか言っているが、靴先でコツいたぐらいだろう。)睨まれたお返しに『ほっとレモン』をかけられたら私でも怒る。同然オヤジは反撃に転じ、押し返してきたらしい。しかし迷惑さを共感していた車内の数名が味方についたらしく、オヤジは退散したのだという。


私:「だからさ、なんで『ほっとレモン』をひっかけちゃったんだよ。明日べとべとだよその人。水ならともかくさ。」(私も酔ってきているが、たしか『ほっとレモン』はハチミツ入りだ)


 私の真剣な説教が続く。次第に、乾いたときに尾を引く『ほっとレモン』をひっかけてしまった過失に気がつき始めた様子で、重い口が開く。そして本当の事が明らかになってくる。


酔っぱらい:「最初、蹴ったあとに睨まれたんで、謝っちゃったんです、僕。」


私:「ん? で?」


酔っぱらい:「謝っちゃった自分に腹が立ちましてね。飲んでいた『ほっとレモン』をひっけちゃったんですよ。」


 まとめると、理由は真っ当にしても先に手を、いや足を出している。蹴られたオヤジはやり返さずに精一杯な睨み返しで応戦。それに少々ビビった酔っぱらいは、相手の臨戦態勢を前に、謝ってしまう。しかしながら、条件反射的に謝ってしまった事に対して、今度は小さな小さな自尊心を守る為の’’ほっとレモン攻撃’’に打って出たというわけだ。そして最終的に、どつかれるほどではないが、押されている。やれやれである。(『押されている』では文章に迫力が出ないので、書き手としてはせめて少しどつかれてほしいところだが、嘘を書く訳にもいかない)


 もうどうでもよい話なわけだが、ここに小さな世界情勢を垣間見ずにはいられない。大なり小なり、世界和平の均衡とは所詮こんなものだろう。そもそも、真っ当な理由など無いのだ。真っ当という概念自体が、国や地域、宗教はたまた集合体によって異なる。各団体の真っ当をかざして先にケリを入れる事が、遥か遠い昔から繰り返されている。


 今回は、蹴りを入れた酔っぱらいがフランス軍だとすると、迷惑な酔っぱらいオヤジはイスラム国で、車内の味方は国連に当てはまりそうだ。(浅はかな発言はご容赦頂きたい。私も酔っているのだ。)


 私のお説教は全く耳に入らないようなので、アフロの板前さんに助けを求めることにした。カウンター越しの存在感と見た目のご利益は、私の比ではない。


 「こいつに説教して上げて下さいよ。」と私。状況を説明。


 「○○君さぁ、そういう時はまず、迷惑ですよ。と声をかけなくちゃ。」


 うんうん、と私。メモメモ、と私。


 結局その後も、○○君は席を立つ度に豪快に椅子をひっくり返し、私よりも遥かにご利益のあるお説法に耳を傾け、無事に改心に向かうのであった。


 店を出ると、私もすっかり酔っぱらいだ。明日の現場入りまでは5時間を切っている。世界はバラバラなんだなぁとしみじみ思い、曇った夜空に星野源の『ばらばら』という歌が浮かぶ。逆に「世界はおやすみ」などといった甘ったるい歌がミスマッチな帰り道だ。明日に向かって天気は下り坂だという。


 世界は一つじゃ無い。遠い昔から変わらないことだけれど、それでいい。それでいいから、誰もが安らかな眠りにつける、そんな世界へ向かって欲しい。今も星空に怯える夜が世界のどこかで続いている。


 そう思うと、隣の酔っぱらいを蹴り飛ばしたくなってくる。まだ少し残っていたらしい『ほっとレモン』をポケットから取り出し飲み干したその姿に、その思いは一層強くなるが、ここで私が足を出してしまえば、また負の連鎖が始まってしまう。そして何よりも、こんな情けない酔っぱらいにゴチになっている私にその資格は無い。さながらフランスに便乗するアメリカのようではないか。


 大なり小なり『ほっとレモン』の事件は世界情勢の縮図に違いない。


 車内で泥酔をしていたおじさんが、このsketchの愛読者では無い事を願い、そして愛読者であったとしても、決して負の連鎖を引き継いでもらいたくない。


 明日にはきっとベトつくはずの洋服も、私の友人の事も、どうか水に流して良い年末を迎えて頂きたい。