音楽でやっていく

大学の建築学科を中退してから12年と半年経つ。


あの頃、わけも分からずに「音楽でやってく。」それだけで学校を辞めた。
担任教授が電話で保護者確認をする。たしか国際電話で、もう何年も会っていなかったけれど、親父にはとくに何も言われなかった。あっけなく退学の手続きは終わった。


それから1年経って、学校の仲間と同じように就職した。不動産売買の営業マンになった。ビギナーズラックか、月収は100万円を超えた。就職したのは、お金に困っていたし、すこし自分に諦めを感じていたからだったと思う。
建築と不動産の勉強を改めてしながら音楽活動をして、その傍らで文学を追い、三島由紀夫を片っ端から読んだ。新しい生活の中で自分の中に枯渇していたものが徐々に埋まっていった。部長にすこし長い手紙を書いて退職した。その時代は、たぶん今のいしずえになっている。
その後、小説の中に出てくる様な珈琲店と出会い、働きはじめた。3年程、珈琲と哲学に浸り、様々な考察を繰り返した。
大学へ入ってからその頃までは、まるで前世の出来事のように、周りに居る人も環境も変わった。


先日大学の友人がguzuriを訪ねて来てくれた。会う前は今の自分がどんな風に映るだろうかと、ドキドキした。会ってみると時間は思った程には経っていない気がした。
住宅、病院や施設の施工管理として企業で活躍する彼らの姿はとても頼もしく、歳月を重ねた経験値を感じた。丁度ホームセンターへ行く用事があったので彼らを誘った。木を選定する作業の中で、各人の目に共有する知識や歴史を感じてしまい、嬉しかった。別々に年を重ね、別々の生活の中で培ってきたものが共有される喜びだった。木を選ぶ、ただそれだけなのに。楽しい時間だった。


「音楽でやって行く。」という大義名分をかかげた若者は、あれから右往左往して今、朝の珈琲店にいる。そんな「やって行く」という、いまいましいしくてやっかいな言葉とは「うまくやっている」つもり。
二十歳の頃の自分の歌声を聴いて思う。諦めの悪さだけは持っていたね。


大学を辞めて12年と半年経つ。
久々に友人と会って書き留めたくなった。