小さな女の子が話しかける
「風さーん、もうやめて〜」
「風さーん、早くお家にかえってよ〜」
とっても風の強い一日
15日のことから書くと、とにかく幸せな誕生日からの流れだった。夜景の綺麗なスパで、割とあっさりとした打ち上げの後で一人になると、心地よい幸福感に包まれた。もう気がついていたけど、大先輩達の傘の下でぬくぬくとした気持ちでいたのだった。この頃の僕は、音楽を誰かの為だとかそんなこと思わずに、ただ音楽と共にある事に喜びをみている。今は。
そのパフォーマンスの為に人生の多くの時間を捧げている。でも、それが社会貢献になっていないのであれば、対価をもらってはいけないと思っているのだけど、それが実のところ自分では判断できない。それをマネージャーやスタッフに尋ねたことがあった。その答えで僕は今も人から対価をもらう現場へ出て行く勇気をもらっている。とにかく何かの役に立っていないと、自分のやっている事に意味を見いだせない。誰の為でもなく音楽をただ喜びとしている裏で、それが誰かの為になっていないとやってられないという問題は、とても人生らしく、もう何度もこういう問題のもとで音が生まれている。
15日のライブと17日のライブ。
どちらも僕は大きな傘の下で音楽をしていた。リクオさん、チャボさん、花田さん、おおはたさん。
とっても近くで、素晴らしい景色を沢山みせてもらった。僕よりも沢山の景色をみているその目の中を覗き込んだ。思い返すと、いろんな事を考えながらしばらくボーッとしていられそうだ。もう二度とあの時間が戻って来ないという寂しさが積もってく。二つのライブの景色が違いすぎて、しかも客人として出演することで、自分の居場所をすっかり見失った気がしている。いい意味で振り出しに戻った。
今、近所のカフェは、バカみたいにうるさくてガヤガヤしているけど、とても集中できる。なんだろな。ブログ、FBやツイッターで感謝の気持ちを伝えるのが好きではないのだけど、自分のこと書かれてると嬉しいのは、せこいな俺。
ふと思う、 美しく綺麗な言葉に引かれるのは、それが僕にはそもそも欠けている物だからなのかもしれない。と。
子供の頃から三日坊主の僕が、音楽だけは長く続けられているのは、そこにあるのかも。いつも歌う情景には普遍性がある。そう心掛けている。自分の移ろいやすい気持ちや、常に変化して行く日常の中に、普遍性を求めて安心しているのだろうか。だから、歌を歌う時だけは、安らいでいられると、そう思うと納得出来る。なので、決して僕は歌の中の様な人ではないし、それを自分で思うのも多少へこむ。憧れであり、そうありたいと思う。
そして、そもそも社会貢献しているのか、、という問いにもどると。ある人にとっては、金とるんじゃねぇになるだろうし、ある人にとっては、絵画をみる様な気持ちにもなるだろうし。
僕は、僕の作る曲を愛しているし、それは僕が作ったんだけど、もうもしかしたら僕じゃないので、作品自体にいつまでも恋をしているようでもあるので。つまり、僕は演じるけど、ある意味、曲自体の客人なのだと思う。それを表現する為にギターも歌も練習する。
ここまで来て、こんなつらつらした文章を、いつも書いては消す。という言い訳をたてて、今日もアップするだろう。
僕は、移ろう人間だから、作り出すものだけは移ろわないで欲しい。
あー、また話がとんだけど、僕のキャパでは薄っぺらい感謝にしかならない。それでも、リクオさんと出会って、少しずつ新しい芽吹きが生まれているのは確か。周りにも新しい事を始めている仲間が何人もいる。助けられている。
感謝って、なんだろう。
ありがとうなのか。。
違うなぁ、、
ありがとうを、行動で示して、始めて感謝になるんだと思う。
たった一通の手書きのハガキや、僕の知らないところで僕の事を思ってくれた発言も。感謝は、態度で示すことだと思う。それがFBやツイッターでもいいんだけど、僕の場合は違う方法でやりたい。思い返すと、沢山の感謝を僕はほとんど出来ていないと思った。
あー、今日は辿り着いた。長い思考のあとで、辿り着いた。
一つは。 僕が人前で演奏する目的は、ありがとうを届ける。表現を許してくれてありがとう。その音楽が、癒してくれて、いろんな景色に連れて行ってくれて、喜びや、表現の糧に、僕にも、あなたにとっても、生活の糧になるようにと。その表現の為に僕は沢山の時間を捧げて来たし、これからも捧げて行く。
しばらく、そんな気持ちでいられそうだ。
なんだか、結局ファーストアルバムの歌詞カードに書いたメッセージみたいになってる。まあいいか。そういうことか。
そして、同じステージで音を重ねる瞬間は尊く、お互いの人生を切り取った貴重な瞬間に敬意を込めて演奏したい。リクオさん、チャボさん、花田さん、おおはたさんとのステージを終えて、大きな二日酔いを経て。辿り着いた。これまでもそういう気持ちではいたけど、これまで以上にそうでないと。
おかわりのアメリカン珈琲も3杯目で、やる事沢山あるけど、順番めちゃくちゃ。新しい手帳がほしい。
ニールヤングの自伝の影響が未だに強いな。
理屈っぽいねと、よく言われる。これは僕の性分だけど、好きじゃない。
だから理屈抜きに伝わる音、というか僕の場合は声を選んだのだと思う。
東日本大震災から3年。
アスファルトがこんにゃくのようにうねり、ビルとビルはぶつかりそうなほどに揺れていた。
吉野家の牛丼は売り切れ、タクシーは捕まらない、携帯は繋がらない、自転車は売り切れ、とにかく帰りたい、そう思った。飯田橋と九段下の間にあるサンマルクカフェ。小さな揺れが次第に大きくなって行く。外に飛び出す。もう揺れが大きくなりはじめてからは文明は機能しなくなっていた。
よくよくこの日を思い出す。
不謹慎だけど、あんなふうに大地がうごめく事にとても感動した。太刀打ち出来ない大きな力を目の当たりにして、目が覚める思いだった。
それでも、ビルは倒れなかったし、東京の人々は生きていた。沢山のものにまだまだ守られていた。なんとかなるという、たかをくくっていた。たくさんの事がなんとかなってしまった。
政治、経済に関心を持ち、会社を作り、世界を知れば知るほど、沢山のことに諦めがついた。知らなくても良い事を知る事で、失われた心を取り戻す為には、徹底的に知る事だと思った。
そして、その中にいる意味を少しずつ受け入れてきている。
あの日の失われた命に、僕の心はどれだけ、痛んだのだろう。もしかしたら、遠い砂漠で難民が空爆を受けた事のように、遠い痛みなのかもしれない。それが悲しい。
藤井さんは、すぐに福島へ向かったという、津波のあと、アメ公(アメリカ軍)はやっぱり災害慣れしてて頼もしかったと言ってた。僕は行動しなかった。大切な人と居る事を選んだ。TVでふくいちの爆発をみたときも、本当に情けないほどに実感はなかった。坂上次郎さんは「空襲が隣町に来ても、隣の家に火が上がるまで実感が無いんです」戦争をそんな風に振り返っていた。
そう、実感もイメージも出来ない。多くの人はきっとそうだと思う。薄情でもなんでもなく、それが人間だと思う。
3.11の後、音楽は決して無力ではなく、人々の心の灯火になったと思う。そういう活動をする音楽家をたくさん知っている。そしてみんなそれぞれ葛藤しながら音を出していたのだと思う。そしてそれは確実に誰かの光になった。
僕はそういう活動はできなかったけど。
3年たった今、僕は自分のやりたい事に関わる人を幸せにしたい、そう思っている。僕の音楽を好きでいてくれるひと、音楽活動や会社をサポートしてくれるスタッフ、guzuriに集まる人々に、家族に、幸せな時間を過ごして欲しい。今はそれで精一杯。
原発や政治に関わる活動家や、ジャーナリストの皆さん、そして個人で発信してくれている人達には本当に感謝している。いつも新しい情報を与えてくれて、僕は無関心にならずにすんでいる。PUFFINを立ち上げた時の志も、持ち続けていれる。
平成23年6月20日作成 PUFFIN 株式会社 定款 目的 第2条 その5
| 太陽光等自然エネルギーでの発電による余暇電力の売却 |
そして、僕自身に何か力になれる時が来たら、惜しみなく心を注いで行きたい。
3年前の今日、命を落とされた方のご冥福を心よりお祈りいたします。
世界は確実に変わっていますよ。
実際のところ、アメリカにも花粉は飛んでいて、アリゾナのおじいちゃんフィルも花粉で苦しんでいた。
この数年は、どうしたらお金を使わないで楽しく豊かな暮らしが出来るのか、ずっと考えていた。スタジオとカフェのセルフビルドから音楽へ向かうすべてを総動員して、循環して行く流れを作って行く。
そしてそれば僕だけの為ではなく、その場所を訪れる人たちの為でもなければいけない。音楽と同じで、心地よく人を向かい入れられるものでなければいけない。
誰かが楽しくあれるように、そうでないとつまらない。
面白いこと。たくさんお金をかけなくても出来ること。
大切にいつまでも使い続けたり、受け継いだりできるもの。
頭を使って、時には感だけで突き進み、そして信頼出来る人のアドバイスに耳を傾ける。
エアストリームは、guzuriをより良くする為の、僕にとってちょっとだけプライベート性の高い場所の為の買い物。
毎月どこかを間借りして家賃を払うよりも安い所有物、内装は自分でやる。
アリゾナ行きを迷う理由はない。
砂漠というか荒野の中の豪邸に光る宇宙船。その光景に「待ってたよ」って言われたような気がした。古くなったガラス窓は、中のフィルムがサイケデリックに経年変化して美しく光を通していた。フィドル弾きのジェニファー、リタイヤ後を楽しむお父さん、犬。LAから何百マイルも旅をしてきた事が報われる。運命は歩み寄ってゆくものだと思った。
そして、失っていくことも感じながら新しい風が吹いてくる。幾つも町を抜け、何度もイメージした。この町に住んだならって。とても懐かしい気持ちがしていたのは、アリゾナの景色がディズニーランドに似ていたからだろうか。
今の日本はアメリカに作られた国だとか、そんなことはどうでもよくなる。ここは広すぎて、ホワイトハウスは遠い。ナンバープレートを付けないで走り去るフィルや、ジェニファーの物語はきっと美しいだろう。
沢山のミュージシャンがLAを目指すハイウェイを走るんだろう。僕はギターを持っていないけど、アメリカツアーをイメージした。ポカホンタスのようなでかいトレーラーハウスと何台もすれ違う度に、すげーなーとしか言えなかった。そしてエアストリームの内装のことばかり考えていた。メロディーはまだ浮かばないけど、全然問題ない。そのうちやってくるから。
暗くなってから見える夜景は、ETの夜景だった。
帰ったらやることが沢山ある。
guzuriに新設の床の仕上げとか、モーニングメニューの試作とか、ギターの特訓に、横隔筋の強化、ジェニファー号、ジェニーと名付けよう。ジェニーを置く場所の整備。ヘイデンブックスの追加工事、頼まれている扉づくり。ライブも幾つか控えている。あまりにもごちゃごちゃしているけど僕の頭の中では、ぜんぜん問題ない。友達とのみに行く時間だって作れる。LAの音楽の聖地には行けなかったけど、また来るからその時に。
今回の旅で、旅行というかお出かけ感覚で行く事が大事だと思った。今回はそれに近かった。これまで、1週間とか1ヶ月いけないともったいないと思ってたけど、そんな暇じゃないし。そんな風におもってたら18歳のタイ旅行一人旅から15年もたってしまった。なんてこった。
明日の12時間のフライトの為にちょっと夜更かしをしている。NHKが映るのでみていると、イルカがなごり雪を歌っている。この人は何回この歌を歌ったんだろうか。子供の頃富士宮市民文化会館で同じ歌をきいた。おかしい。
帰国したら銭湯に生きたいな。ビールをのんで、ギターを沢山弾こう。28日の西千葉のライブではニールヤングのHelplessをもう一度歌ってみよう。いろいろな景色や仕事も、結局全部音楽に還元されて行く。それが僕のスタンス。
今のスタンス。これから変わるかもしれないし、変わったってかまわない。
こだわるということは こだわらないということだとおもう。
つまりは さよならアメリカ さよならニッポン だ。
ねよ
というわけで、近場に行く感覚で渡米し帰ってきた。旅の間に書いた日記、完全にニールヤングの自伝の影響を受けている。なにはともあれ、無事でいる。
いつもなら読み返して添削する公開文章だけども、ニールヤングの自伝に習い今回はそれをしないことにする。時系列は前後するけど、このあと一日目からアップしていこう。
今日は20時から西千葉のCafeSTANDでライブをする事になっている。ライブチャージは1500円。
さっき大きな銭湯へ行き、リフレッシュをした。昨晩は飛行機でも結局寝なかったので、体の自由が利かない状態だったけど、温泉の力は素晴らしいと思った。かなり取り戻していている。
明日は新宿のタワーレコードに10時入り。12時からリクオさんのインストアライブでギターと歌を。帰国してすぐリクオさんと電話ではなしたけれど、リクオさんもリリースやライブでかなりお疲れの様で、お互いを検討し合った。
今日からまたguzuri珈琲店が金土日で開店。3月は出来るだけ僕がお店を開けれる日を作ろうと思う。スケジュールも決めないと。
今日はSTANADの事務所で今日と明日のライブの準備を、ゆっくりやる。
ごきげんよう。
NEW YEAR CONCERT が終わり3週間が過ぎました。伝承ホールの後は一息つくかと思いきや全くそんなことはなく、内装系の仕事や、スタジオレコーディング、カフェの仕込みに、肉体改造、リクオさんとのツアー。今日は今年の今後の件の打ち合わせです。盛りだくさんですがよく寝ています。そして、昨日藤井さんを忍ぶ会が終わりました。本当にたくさんの方が一日中ひっきりなしで、藤井さん、うれしかったんじゃないかな。僕は夜から参加でしたが、雪もすこし降ってすごく寒い日でした。去年の今頃、大雪がふりました。スタジオの前の公園を二人で、「ブルースコバーンのジャケみたいなの撮れるね」といって外へでました。僕は藤井さんの靴がぼろぼろのスリッポンだったのがすごく気になっていました。スタジオに戻るとびしょびしょだったのでストーブで乾かしていました。昨日はそんな日を思い出すような寒い一日でした。藤井さんを偲ぶ会を終え、藤井さんを皆様と偲び送り出すことができてよかったです。関係者の皆様とご来場の皆様に、深い感謝の気持ちでいます。
そして、先日のバンドコンサート。これは藤井さんとの最後の仕事でした。個人的には昨年他界したエンジニアの藤井暁さんと音楽家の大瀧詠一さんの二人を追悼するような気持ちもあり、慎むようなライブとなりました。しかし振り返るほどに、自分自身が素晴らしいバンドメンバーの演奏に答えられていたかどうか、まだまだ旅立つお二人に、胸を張って手を振れる自分ではなかったと毎日思い返しています。それでもあの瞬間瞬間が愛おしく思い返せるのは、旅立たれたお二人から受け継いだ音楽を、バンドメンバーやスタッフ、そしてお客様と共有する時間の中で奏でる事ができたからだと思うのです。あの新年のコンサートが、あの日の伝承ホールにいた人々の何か、糧になっていると信じ、これからのSASAKLAの一歩を踏み出して行こうと思います。
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また、3月から普段音作りがされているguzuri recording houseにて、マイクに収録される響きをそのままお届け出来るような、アットホームで居心地の良いミニコンサートをお届けできればと思っています。
題して、guzuri sunny session。
(埼玉県入間市東町1-3-9 ジョンソンタウン内ハウスNo1123)にて、初回は3月23日(日)開催予定。その後も毎月1回 週末の昼間(午後)に、SASAKLAのライブを開催します。guzuri珈琲店のランチメニューを楽しんでもらったり、たまには友人ミュージシャンをゲストに呼んだり、リラックスした空間で音楽を楽しんでもらいながら、ホールライブでは話し切れなかったトークなども満喫できる、そんなマンスリーライブを予定しています。詳細は後日 SASAKLAのWeb site他にて発表いたします。
リクオさんとの三日間の旅が終わりました。
10年くらい前、ライブをするたびに命を削っている感覚だった。三日目のステージを終え、またそのサイクルに入ったのだと感じました。リクオさんとの日々のなかでそんな風に心が動きはじめました。そして、生の言葉とピアノの振動に触れて改めてアルバム「HOBO HOUSE」の素晴らしさを実感しています。多くの人にこのアルバムが届きますように。
夜明け前、91歳の祖父が危篤との連絡で起床。
数日前、祖父と一緒に歌を歌いました。目も開かないのに、病室で1時間くらい上を向いて歩こうを歌い続けてるのを見て、僕が歌を歌うのは血なんだと思った。そう言えば、祖父はいつも何か鼻歌を歌っていました。
病室へ辿り着いた時にはもう逝ってしまった後だったけど、最後に声を重ねることができてよかった。さっきまで家にたくさん人が来て、お葬式の段取りまで終わりました。近所の魚屋さんが、「こんなに働いた人は他にいない」って褒めていた。僕の育った家も、祖父が宮大工さんと一緒に建てた家で、僕の大工仕事の原点もそこにあるのだと思わずにはいられない。歌も大工仕事も、気がつけばもらったものばかりだった。
自然と導かれる方へ、と思っていた事。それは、いつでも気がつかないところで導いてくれる人がいたのだと、そしてこれからもきっとそうなのだと思う。そしてふと感じた事は、自分を信じる事って、同時に人を信じる事なんじゃないかと。そうやってつなぎとめて来たものが沢山ある。
旅の中でリクオさんと、生き続ける事は見送りつづける事だと、そんな風なことも話した。見送って受け継いで行く。今日は藤井さんを偲ぶ会が下北沢440で行われているので、向かう車内でこれを書いています。みんな旅立ちながら、いろいろ置いて行く。そして大切なものが増えてゆく。何世代もかけて繋がっていく。
今通り過ぎた熱海の海は、見た事の無い様な海の色をしていました。
雪が降ってきそうです。
夢の途中さ いつまでも by リクオ「光」
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また、関係者さまへはメールなどでお知らせが入っていることと思いますが、念のためお知らせさせて頂きます。昨年他界されたレコーディングエンジニアの藤井暁さんを偲ぶ会が本日下北沢440で行われます。故人の思い出をお話したり、聞いたり、という偲ぶ会となります。葬儀ではありませんので、自由な服装でおいでください。
日時:2013年2月4日(火) 11:00~21:00
(ご都合の良い時間にお越し下さい)
場所:Live bar 440-four forty
(下北沢駅南口より徒歩7分)
〒155-0032 東京都世田谷区代沢5-29-15SYビル1F
TEL.03-3422-9449 (~4:00PM)
03-3422-9440 (4:00PM~)
会費:1ドリンク500円
(ご好意でライブハウスを一日貸し切らせていただきますので、よろしくお願いします)
受付で500円とドリンク券1枚を交換して、カウンターでお好きなドリンク1杯をご注文下さい。
その他軽食、追加ドリンクも注文していただけますのでcashでご利用下さい。
献花台を設けます。
お花はこちらでも少量ご用意しておきます。お一人一輪ずつ手向けて下さい。
ご持参される方はどうぞ「一輪だけ」お持ちください。
大きなお花などはご遠慮下さい。
藤井さんのご家族に差し上げたいと思いますので、藤井さんが関わったアルバムや、何らかの作品で贈呈してもいいものがあればお持ちください。
(物々交換もいいかもしれないので、少し余分があれば、そちらもどうぞ)
お名前の記帳以外に、もし藤井さんとの仕事が中断していて、データが藤井さんの元にある方は、今後ご家族の方が個人的に連絡をとって対応します、との事なのでお知らせ下さい。
2/21にリクオさんのニューアルバムHOBO HOUSEがリリースされます。
始めてリクオさんに出会ったのは、入間のカフェSO-SOでした。ライブの打ち上げで歌わされ、もとい、、歌うことになり。歌いました。感想の一言を今でも忘れません。「しんちゃんはもっとストレス感じた方がええよ。」ちょっとイラっとしたのは、なんとなくわかる気がしたからだど、今になって思います。
ちょうど3年前の今頃、SO-SOのライブで前座をやらせて頂きました。リハーサルが終わり、リクオさんに新しい作品を手伝って欲しいと言われた時は、かなりびっくりしました。そして嬉しかったです。その日の打ち上げで、「ちょっとはストレス感じますか?」などと笑ってお酒を交わしました。
それから半年経ち、録音は始まりました。それから2年半以上かけて少しずつ少しずつ、HOBO HOUSEは完成しました。プロデューサーという肩書きが付いたのは2年目に差し掛かったころでしょうか、それもまた驚きでしたが、基本的に何もしていません。録音に立ち会い、時には参加し、見守り、最後にミックスをする。それだけです。ただ一つ、ダメな物にはダメ出しをする、それだけ心掛けました。
今回の共同プロデュースという事の意味をずっと考えていますが、インタビューを受ける度に始めて聴くリクオさんの思いや、僕も始めて話す様な言葉に、新鮮な気持ちでいます。僕に白羽の矢が立ったことは光栄であり、リクオさんが良いと思える役割が出来ていたら嬉しいです。参加ミュージシャンも素晴らしく、ミュージシャンクレジットの相関図を作りたいくらいです。
そして、これまでのリクオさんの作品とは明らかに違う何かを感じて頂けたら、それは僕の力ではなくリクオさんの振り幅がまた世界を切り開いたという事だと思います。プレイバックの数はリクオさんよりも多いかもしれませんが、何度聴いても新しい発見のある歌詞やメロディーに、ミックスの架橋の段階ではちょっと泣いちゃいました。
来月2/1から3日間リクオさんとライブをしますが、楽しい旅になりそうです。昨日リハーサルをしましたが、お互いの音量と指向性がちょっと違いすぎて途方に暮れました。急遽もう一度リハーサルすることになりましたが、ライブは一度きり、ガチなので、このアンバランスな感じがどこまで昇華していくかが見どころだと思います。リクオさんについて行くので精一杯ですが、いい感じでストレス感じています笑。そして多くの問題は僕が上達すれば解決するので、またギターがうまくなれそうです。やった〜!
入間のハウスに引っ越して、丸7年たった。ヴィムベンダースのフィルムのギャラが引っ越しのたしになったので、今の生活はちょっとヴィムのお陰さまです。毎年正月になると思い出す。単発でのあんな高額ギャラはそれ以降もらっていない。
先日逝ってしまった藤井さんとの出会いもこのハウスの玄関先。今とは全く景色が違うけど。僕は寝坊してずいぶん外で待たせてしまったけど、外でニコニコしていた。去年の伝承ホールの朝も寝坊してしまったけど、やっぱりニコニコしていた。一度、あるセッションの後、ちょっと口論になった。でも最後はニコニコしていた。そのうち一緒にロンドンかハワイのスタジオで録音しようという話をよくしていて、僕はとても楽しみにしてた。震災後はすぐに福島に駆けつけ、原発のボランティアしたり、線量多すぎて一度千葉の施設に入ったとも言っていた。無茶な人だった。足をけがしてもびっこひいて、病院にも行かないし、冬でも半袖とフリースだけだし、携帯持っていないし、髪も切らない。猫が好きで、嘘がきらいで、カフェオレの甘めが好きで、夜も全然寝ないし、すげーしゃべるし、のり平の武蔵野うどんが好きで、餅天が好きで、自分の中にちゃんと法律がある人。最後に会ったのもguzuriだった。僕はその日イノトモさんのレコ発の為作業中の藤井さんを残して出かけた。始めての出会いは僕が出迎えて(寝坊したけど)、最後の時は僕が送り出された。最初も最後もこの場所。猫が多くて、緑にかこまれたこのスタジオを一緒に作ってきたと思っている。僕がだまって壁を壊したときブースがひとつ減ってちょっと困ってたけど、結局ニコニコしていた。今も公園の方からノックして現れそうな気がする。マイクのいっぱい入った重たいキャリーを弾いて、熊のぬいぐるみと一緒に。
去年の伝承ホールの終演後、搬出用のエレベーターホールで「これからもっとこういうコンサートやっていくんやからね。」って言われたことを思い出す。藤井さんのマイクの前では嘘がつけない。素っ裸なものだけがそこに残る。素っ裸なものに自身が持ちたくて、藤井さんをエンジニアに選んだ。このスタジオで一緒に過ごした時間が、これからの糧になると信じている。
つらつら書いた。今日は添削しないでそのままリリース。おやすみ。