sketch/2014.2.25( LA時間)

実際のところ、アメリカにも花粉は飛んでいて、アリゾナのおじいちゃんフィルも花粉で苦しんでいた。


この数年は、どうしたらお金を使わないで楽しく豊かな暮らしが出来るのか、ずっと考えていた。スタジオとカフェのセルフビルドから音楽へ向かうすべてを総動員して、循環して行く流れを作って行く。


そしてそれば僕だけの為ではなく、その場所を訪れる人たちの為でもなければいけない。音楽と同じで、心地よく人を向かい入れられるものでなければいけない。


誰かが楽しくあれるように、そうでないとつまらない。


 面白いこと。たくさんお金をかけなくても出来ること。


大切にいつまでも使い続けたり、受け継いだりできるもの。


頭を使って、時には感だけで突き進み、そして信頼出来る人のアドバイスに耳を傾ける。


エアストリームは、guzuriをより良くする為の、僕にとってちょっとだけプライベート性の高い場所の為の買い物。


毎月どこかを間借りして家賃を払うよりも安い所有物、内装は自分でやる。


アリゾナ行きを迷う理由はない。


 砂漠というか荒野の中の豪邸に光る宇宙船。その光景に「待ってたよ」って言われたような気がした。古くなったガラス窓は、中のフィルムがサイケデリックに経年変化して美しく光を通していた。フィドル弾きのジェニファー、リタイヤ後を楽しむお父さん、犬。LAから何百マイルも旅をしてきた事が報われる。運命は歩み寄ってゆくものだと思った。


 そして、失っていくことも感じながら新しい風が吹いてくる。幾つも町を抜け、何度もイメージした。この町に住んだならって。とても懐かしい気持ちがしていたのは、アリゾナの景色がディズニーランドに似ていたからだろうか。


今の日本はアメリカに作られた国だとか、そんなことはどうでもよくなる。ここは広すぎて、ホワイトハウスは遠い。ナンバープレートを付けないで走り去るフィルや、ジェニファーの物語はきっと美しいだろう。


沢山のミュージシャンがLAを目指すハイウェイを走るんだろう。僕はギターを持っていないけど、アメリカツアーをイメージした。ポカホンタスのようなでかいトレーラーハウスと何台もすれ違う度に、すげーなーとしか言えなかった。そしてエアストリームの内装のことばかり考えていた。メロディーはまだ浮かばないけど、全然問題ない。そのうちやってくるから。


暗くなってから見える夜景は、ETの夜景だった。


帰ったらやることが沢山ある。


guzuriに新設の床の仕上げとか、モーニングメニューの試作とか、ギターの特訓に、横隔筋の強化、ジェニファー号、ジェニーと名付けよう。ジェニーを置く場所の整備。ヘイデンブックスの追加工事、頼まれている扉づくり。ライブも幾つか控えている。あまりにもごちゃごちゃしているけど僕の頭の中では、ぜんぜん問題ない。友達とのみに行く時間だって作れる。LAの音楽の聖地には行けなかったけど、また来るからその時に。


 今回の旅で、旅行というかお出かけ感覚で行く事が大事だと思った。今回はそれに近かった。これまで、1週間とか1ヶ月いけないともったいないと思ってたけど、そんな暇じゃないし。そんな風におもってたら18歳のタイ旅行一人旅から15年もたってしまった。なんてこった。


明日の12時間のフライトの為にちょっと夜更かしをしている。NHKが映るのでみていると、イルカがなごり雪を歌っている。この人は何回この歌を歌ったんだろうか。子供の頃富士宮市民文化会館で同じ歌をきいた。おかしい。


 帰国したら銭湯に生きたいな。ビールをのんで、ギターを沢山弾こう。28日の西千葉のライブではニールヤングのHelplessをもう一度歌ってみよう。いろいろな景色や仕事も、結局全部音楽に還元されて行く。それが僕のスタンス。


今のスタンス。これから変わるかもしれないし、変わったってかまわない。


こだわるということは こだわらないということだとおもう。


 つまりは さよならアメリカ さよならニッポン だ。


 


ねよ


 

sketch/2014.2.28

というわけで、近場に行く感覚で渡米し帰ってきた。旅の間に書いた日記、完全にニールヤングの自伝の影響を受けている。なにはともあれ、無事でいる。


いつもなら読み返して添削する公開文章だけども、ニールヤングの自伝に習い今回はそれをしないことにする。時系列は前後するけど、このあと一日目からアップしていこう。


今日は20時から西千葉のCafeSTANDでライブをする事になっている。ライブチャージは1500円。


さっき大きな銭湯へ行き、リフレッシュをした。昨晩は飛行機でも結局寝なかったので、体の自由が利かない状態だったけど、温泉の力は素晴らしいと思った。かなり取り戻していている。


明日は新宿のタワーレコードに10時入り。12時からリクオさんのインストアライブでギターと歌を。帰国してすぐリクオさんと電話ではなしたけれど、リクオさんもリリースやライブでかなりお疲れの様で、お互いを検討し合った。


今日からまたguzuri珈琲店が金土日で開店。3月は出来るだけ僕がお店を開けれる日を作ろうと思う。スケジュールも決めないと。


今日はSTANADの事務所で今日と明日のライブの準備を、ゆっくりやる。


ごきげんよう。

sketch/2014.2.5

NEW YEAR CONCERT が終わり3週間が過ぎました。伝承ホールの後は一息つくかと思いきや全くそんなことはなく、内装系の仕事や、スタジオレコーディング、カフェの仕込みに、肉体改造、リクオさんとのツアー。今日は今年の今後の件の打ち合わせです。盛りだくさんですがよく寝ています。そして、昨日藤井さんを忍ぶ会が終わりました。本当にたくさんの方が一日中ひっきりなしで、藤井さん、うれしかったんじゃないかな。僕は夜から参加でしたが、雪もすこし降ってすごく寒い日でした。去年の今頃、大雪がふりました。スタジオの前の公園を二人で、「ブルースコバーンのジャケみたいなの撮れるね」といって外へでました。僕は藤井さんの靴がぼろぼろのスリッポンだったのがすごく気になっていました。スタジオに戻るとびしょびしょだったのでストーブで乾かしていました。昨日はそんな日を思い出すような寒い一日でした。藤井さんを偲ぶ会を終え、藤井さんを皆様と偲び送り出すことができてよかったです。関係者の皆様とご来場の皆様に、深い感謝の気持ちでいます。


そして、先日のバンドコンサート。これは藤井さんとの最後の仕事でした。個人的には昨年他界したエンジニアの藤井暁さんと音楽家の大瀧詠一さんの二人を追悼するような気持ちもあり、慎むようなライブとなりました。しかし振り返るほどに、自分自身が素晴らしいバンドメンバーの演奏に答えられていたかどうか、まだまだ旅立つお二人に、胸を張って手を振れる自分ではなかったと毎日思い返しています。それでもあの瞬間瞬間が愛おしく思い返せるのは、旅立たれたお二人から受け継いだ音楽を、バンドメンバーやスタッフ、そしてお客様と共有する時間の中で奏でる事ができたからだと思うのです。あの新年のコンサートが、あの日の伝承ホールにいた人々の何か、糧になっていると信じ、これからのSASAKLAの一歩を踏み出して行こうと思います。


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また、3月から普段音作りがされているguzuri recording houseにて、マイクに収録される響きをそのままお届け出来るような、アットホームで居心地の良いミニコンサートをお届けできればと思っています。


題して、guzuri sunny session。


(埼玉県入間市東町1-3-9 ジョンソンタウン内ハウスNo1123)にて、初回は3月23日(日)開催予定。その後も毎月1回 週末の昼間(午後)に、SASAKLAのライブを開催します。guzuri珈琲店のランチメニューを楽しんでもらったり、たまには友人ミュージシャンをゲストに呼んだり、リラックスした空間で音楽を楽しんでもらいながら、ホールライブでは話し切れなかったトークなども満喫できる、そんなマンスリーライブを予定しています。詳細は後日 SASAKLAのWeb site他にて発表いたします。


 

sketch/2014.2.4

リクオさんとの三日間の旅が終わりました。


10年くらい前、ライブをするたびに命を削っている感覚だった。三日目のステージを終え、またそのサイクルに入ったのだと感じました。リクオさんとの日々のなかでそんな風に心が動きはじめました。そして、生の言葉とピアノの振動に触れて改めてアルバム「HOBO HOUSE」の素晴らしさを実感しています。多くの人にこのアルバムが届きますように。


夜明け前、91歳の祖父が危篤との連絡で起床。


数日前、祖父と一緒に歌を歌いました。目も開かないのに、病室で1時間くらい上を向いて歩こうを歌い続けてるのを見て、僕が歌を歌うのは血なんだと思った。そう言えば、祖父はいつも何か鼻歌を歌っていました。


病室へ辿り着いた時にはもう逝ってしまった後だったけど、最後に声を重ねることができてよかった。さっきまで家にたくさん人が来て、お葬式の段取りまで終わりました。近所の魚屋さんが、「こんなに働いた人は他にいない」って褒めていた。僕の育った家も、祖父が宮大工さんと一緒に建てた家で、僕の大工仕事の原点もそこにあるのだと思わずにはいられない。歌も大工仕事も、気がつけばもらったものばかりだった。


自然と導かれる方へ、と思っていた事。それは、いつでも気がつかないところで導いてくれる人がいたのだと、そしてこれからもきっとそうなのだと思う。そしてふと感じた事は、自分を信じる事って、同時に人を信じる事なんじゃないかと。そうやってつなぎとめて来たものが沢山ある。


旅の中でリクオさんと、生き続ける事は見送りつづける事だと、そんな風なことも話した。見送って受け継いで行く。今日は藤井さんを偲ぶ会が下北沢440で行われているので、向かう車内でこれを書いています。みんな旅立ちながら、いろいろ置いて行く。そして大切なものが増えてゆく。何世代もかけて繋がっていく。


今通り過ぎた熱海の海は、見た事の無い様な海の色をしていました。


雪が降ってきそうです。


 


夢の途中さ いつまでも by リクオ「光」


 


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また、関係者さまへはメールなどでお知らせが入っていることと思いますが、念のためお知らせさせて頂きます。昨年他界されたレコーディングエンジニアの藤井暁さんを偲ぶ会が本日下北沢440で行われます。故人の思い出をお話したり、聞いたり、という偲ぶ会となります。葬儀ではありませんので、自由な服装でおいでください。


 日時:2013年2月4日(火) 11:00~21:00


          (ご都合の良い時間にお越し下さい)


場所:Live bar 440-four forty


          (下北沢駅南口より徒歩7分)


http://www.club251.co.jp/440/


〒155-0032 東京都世田谷区代沢5-29-15SYビル1F


      TEL.03-3422-9449 (~4:00PM)


              03-3422-9440 (4:00PM~)


会費:1ドリンク500円


  (ご好意でライブハウスを一日貸し切らせていただきますので、よろしくお願いします)


受付で500円とドリンク券1枚を交換して、カウンターでお好きなドリンク1杯をご注文下さい。


その他軽食、追加ドリンクも注文していただけますのでcashでご利用下さい。


 


献花台を設けます。


お花はこちらでも少量ご用意しておきます。お一人一輪ずつ手向けて下さい。


ご持参される方はどうぞ「一輪だけ」お持ちください。


大きなお花などはご遠慮下さい。


 


藤井さんのご家族に差し上げたいと思いますので、藤井さんが関わったアルバムや、何らかの作品で贈呈してもいいものがあればお持ちください。


(物々交換もいいかもしれないので、少し余分があれば、そちらもどうぞ)


 


お名前の記帳以外に、もし藤井さんとの仕事が中断していて、データが藤井さんの元にある方は、今後ご家族の方が個人的に連絡をとって対応します、との事なのでお知らせ下さい。