sketch/2014.1.26

2/21にリクオさんのニューアルバムHOBO HOUSEがリリースされます。
始めてリクオさんに出会ったのは、入間のカフェSO-SOでした。ライブの打ち上げで歌わされ、もとい、、歌うことになり。歌いました。感想の一言を今でも忘れません。「しんちゃんはもっとストレス感じた方がええよ。」ちょっとイラっとしたのは、なんとなくわかる気がしたからだど、今になって思います。
ちょうど3年前の今頃、SO-SOのライブで前座をやらせて頂きました。リハーサルが終わり、リクオさんに新しい作品を手伝って欲しいと言われた時は、かなりびっくりしました。そして嬉しかったです。その日の打ち上げで、「ちょっとはストレス感じますか?」などと笑ってお酒を交わしました。
それから半年経ち、録音は始まりました。それから2年半以上かけて少しずつ少しずつ、HOBO HOUSEは完成しました。プロデューサーという肩書きが付いたのは2年目に差し掛かったころでしょうか、それもまた驚きでしたが、基本的に何もしていません。録音に立ち会い、時には参加し、見守り、最後にミックスをする。それだけです。ただ一つ、ダメな物にはダメ出しをする、それだけ心掛けました。
今回の共同プロデュースという事の意味をずっと考えていますが、インタビューを受ける度に始めて聴くリクオさんの思いや、僕も始めて話す様な言葉に、新鮮な気持ちでいます。僕に白羽の矢が立ったことは光栄であり、リクオさんが良いと思える役割が出来ていたら嬉しいです。参加ミュージシャンも素晴らしく、ミュージシャンクレジットの相関図を作りたいくらいです。


そして、これまでのリクオさんの作品とは明らかに違う何かを感じて頂けたら、それは僕の力ではなくリクオさんの振り幅がまた世界を切り開いたという事だと思います。プレイバックの数はリクオさんよりも多いかもしれませんが、何度聴いても新しい発見のある歌詞やメロディーに、ミックスの架橋の段階ではちょっと泣いちゃいました。
来月2/1から3日間リクオさんとライブをしますが、楽しい旅になりそうです。昨日リハーサルをしましたが、お互いの音量と指向性がちょっと違いすぎて途方に暮れました。急遽もう一度リハーサルすることになりましたが、ライブは一度きり、ガチなので、このアンバランスな感じがどこまで昇華していくかが見どころだと思います。リクオさんについて行くので精一杯ですが、いい感じでストレス感じています笑。そして多くの問題は僕が上達すれば解決するので、またギターがうまくなれそうです。やった〜!

sketch/2014.1.11

入間のハウスに引っ越して、丸7年たった。ヴィムベンダースのフィルムのギャラが引っ越しのたしになったので、今の生活はちょっとヴィムのお陰さまです。毎年正月になると思い出す。単発でのあんな高額ギャラはそれ以降もらっていない。


先日逝ってしまった藤井さんとの出会いもこのハウスの玄関先。今とは全く景色が違うけど。僕は寝坊してずいぶん外で待たせてしまったけど、外でニコニコしていた。去年の伝承ホールの朝も寝坊してしまったけど、やっぱりニコニコしていた。一度、あるセッションの後、ちょっと口論になった。でも最後はニコニコしていた。そのうち一緒にロンドンかハワイのスタジオで録音しようという話をよくしていて、僕はとても楽しみにしてた。震災後はすぐに福島に駆けつけ、原発のボランティアしたり、線量多すぎて一度千葉の施設に入ったとも言っていた。無茶な人だった。足をけがしてもびっこひいて、病院にも行かないし、冬でも半袖とフリースだけだし、携帯持っていないし、髪も切らない。猫が好きで、嘘がきらいで、カフェオレの甘めが好きで、夜も全然寝ないし、すげーしゃべるし、のり平の武蔵野うどんが好きで、餅天が好きで、自分の中にちゃんと法律がある人。最後に会ったのもguzuriだった。僕はその日イノトモさんのレコ発の為作業中の藤井さんを残して出かけた。始めての出会いは僕が出迎えて(寝坊したけど)、最後の時は僕が送り出された。最初も最後もこの場所。猫が多くて、緑にかこまれたこのスタジオを一緒に作ってきたと思っている。僕がだまって壁を壊したときブースがひとつ減ってちょっと困ってたけど、結局ニコニコしていた。今も公園の方からノックして現れそうな気がする。マイクのいっぱい入った重たいキャリーを弾いて、熊のぬいぐるみと一緒に。


去年の伝承ホールの終演後、搬出用のエレベーターホールで「これからもっとこういうコンサートやっていくんやからね。」って言われたことを思い出す。藤井さんのマイクの前では嘘がつけない。素っ裸なものだけがそこに残る。素っ裸なものに自身が持ちたくて、藤井さんをエンジニアに選んだ。このスタジオで一緒に過ごした時間が、これからの糧になると信じている。


つらつら書いた。今日は添削しないでそのままリリース。おやすみ。

sketch/2014.1.8

1/14伝承ホールコンサートのリハーサル/くもりのち雨


立夫さんと大瀧さんの事を話した。


今度の伝承ホールで、ロングバケーションから一曲やることにした。


歌いはじめた瞬間、多分、あのスタジオに大瀧さん来ていたと思う。


生まれて始めての気持ちがした。


なんか勝手にバトン受け取った気になってしまった。


今度の伝承ホール、エンジニアの藤井さんから、大瀧さんから、受け継ぐものは大きい。

sketch/2014.1.7

髪をほどいた 君の仕草が 
泣いているようで 胸が騒ぐよ 
大瀧詠一/幸せな結末 より
 
高校生の頃、唯一カラオケで上手に歌えた曲です。J-POPを歌うと声が裏返ってしまって、友人からはよくバカにされていました。ところが大瀧さんを歌うとそんな友達も感心してくれた覚えがあります。もちろんシングルも買いました。それがはっぴいえんどに出会う3年くらい前。まだギターも手にするかしないかの頃でした。
はっぴいえんどを始めて聴いて、その人が大瀧詠一だとわかった時の、納得感はいまでも覚えています。それから20代のほとんどは、大瀧さんと自分との間に、理想の声を探し続けていました。当時のノートには声の管理の為に、タバコの本数とその日の喉の具合や、鼻腔の使い方など、こと細かく書いてあり、今見ても忘れていた発見があります。今でこそ歌唱の表現は変化しましたが、歌の基礎の部分は当時していた大瀧歌唱法の研究が大きな礎となっています。
今思えば、歌唱についての考察と実験をする切っ掛けを大瀧さんには頂きました。当時の考察は主に、鼻腔や日本語の発生について。その後様々な試みをした結果、現在は体の体幹から声を発するまでの各筋肉の連動性に着目しています。そのステージに入ってかれこれ2年程たちますが、およそ10年間の研究が具体的に表現として実を結びはじめている実感があります。そして幸せな事にそれにより理想の歌声がまたこれから先に生まれてきました。
すべては歌いたい歌を歌う為に、僕の生活の中でその事を忘れた日はここ10年くらいで一日もないのではないでしょうか。それと高校3年間の皆勤賞だけは思い返すと自分でも感心します。ここまで来たら、いつか一冊の本が出来るくらいの気持ちで、自分を実験台にこれからも歌っていきます。
そして、突き詰めれば突き詰めるほどに、そんな事はどうでも良くなるくらい、歌が好きになって行くのです。
2013年12月30日の夜、立夫さんがドラムで参加した楽曲のセレクションを聴いていました。久しぶりに聴く大瀧さんの声に、やっぱり惚れ惚れし、また新しい発見を幾つもしながら、何度も繰り返し聴きました。
改めて、僕はこの人の歌を聴いたから、歌をこんなに追い求めて、そして好きになれたんだな、と思うのです。
 大瀧さん、安らかに。
 
大瀧さんの曲、今度のライブでやってみようかな。明日のリハーサルでバンドメンバーに相談してみよう。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2013年1月7日 笹倉慎介