sketch/2015.3.30

一日の留守の間に、桜がほとんど満開になっている。住宅街を少し歩く。春爛漫。日もみるみる長くなる。目に見えて緑が増してゆく景色に生命を感じる。気がついたら、木香薔薇もクレマチスも満開になって、初夏の陽気がやってくるだろう。夜はまだストーブをつける。季節の変わり目が行ったり来たりする。

sketch/2015.3.29

キャノンのF1。たしか春に買った。モノクロのフィルムを持ってよく出かけた。上野の精養軒や古い珈琲屋を巡りながらカメラを構えた。夏には海へ出かけた。西伊豆の防波堤で、あの時口ずさんでいた曲を覚えている。生い立ちを巡るスクリーンに、ウクレレを持って海を見ている写真が映し出されて思い出した。親友の結婚式は青春のほとんどを共にした顔ばかりで、心の中がムズムズする。またフイルムで写真が録りたくなる。三島大社の桜は満開だった。

sketch/2015.3.28

早朝からエアストリームで撮影の為、雨漏り防止のシートを外す。いよいよ修繕に手をつけないといけない。いよいよ修繕に手をつけないといけない。2度書いてみる。guzuriの店番をしながら、少し空いた時間に公園を歩く。桜の蕾は今にも開きそう。 25年物の紹興酒をのむ。15年物との違いに驚く。夜はまだまだ冷える。

sketch/2015.3.27

寸胴にカレーを仕込む。沢山つくる。多く仕込むほど美味しい。珈琲も1杯より5杯分入れた方がうまい。10杯入れるとさらにうまい。 帰り際、CD聴いていますと声をかけてくれるお客さん。人伝いに訪れたというおばさま。この店の存在に今日気がついたという、近所の方。桜は、もうすぐ咲きそう。

sketch/2015.3.26

25歳の写真家志望と、美大を卒業したばかりの若者二人。毎日暇なのだと、guzuriで珈琲を飲んでいる。ちょうど彼らの年に入間に来た。昨日から今日の流れで、ずいぶん回想することがある。guzuriのWEBリニューアルなど着々と進む。公園の桜はまだ咲かない。

sketch/2015.3.25

池袋の街を久しぶりに歩く。入間に引っ越してから数年は、ほぼ毎日この街に居た。働いていたコールセンターは、ミュージシャンやお笑い芸人、役者のたまごなどでめちゃくちゃな空間だった。煙草は辞めていたので、喫煙所での交流も無く、いつも1人で昼食をとっていた。書きかけの歌詞と向き合っていると、1時間の休憩時間はあっという間だった。往復の電車で書き溜めた言葉から、沢山の曲が生まれた。それから8年経った。毎朝通り過ぎていた古い喫茶店でリリースの打ち合わせをしてから少し呑む。ほろ酔いで帰りの特急に乗る。

sketch/2015.3.24

休みと決めていた日だけど、そうもいかない。明日からはカフェの営業。録音後のままのguzuriを片付ける。夕方になって、映画館へ行く。このところ時間を見つけては映画を見に行く。マイブームかな。10分も歩けば映画館。今日は、思いがけず良い歌を聴けた。子供の頃、合唱コンクールで涙を流していた先生の気持ちがよく分かる。近頃、涙腺が弱くなった。去年からの映画では、ほぼ全敗。

sketch/2015.3.23

成田エキスプレスの中でビールを2本とハイボールを1本。飛行機を降りて、さらに関東を横断。つい先ほどまで、太陽の降り注ぐ瀬戸内海を望むカフェで珈琲を飲んでいた。成田は雨。心のスピードが移動のスピードについて行かいない。もはや車の旅の方が贅沢な時代なのかもしれない。ゆっくりと景色の変化を感じながら移動する旅がしたくなる。

sketch/2015.3.22

飛行機で香川まで。山間をぬけると、小さなため池。コンクリートで固めていないので、小さな湖のよう。向こう岸の湖畔には集落が見える。屋根は日本の原風景のような形をしている。1965年に廃校になった小学校には、およそ30代の音楽家が集い、僕らはほとんどが顔見知りで、少し同窓会のような気持ちにもなる。山間にこだまする音に耳をすますと、天然のディレイが帰ってくる。あっという間に一日が終わる。いつかまた、同じ招待状の届く日までお別れだ。つかの間の時間が行く。

sketch/2015.3.21

冷凍庫にはカブの葉や人参の刻んだもの、シーフードミックス。冷蔵庫から卵を二つ。玄米と白米の半々の米を解凍する。鉄のフライパンを良く熱して、卵をいれる。冷めにくい鉄のフライパン。とても重たいけれど、出来上がりを食べてみると暖まり方に感動する。よく切れる包丁で切った野菜も、口の中に入れたときの舌触りがまるで違う。鉄のフライパンとよく切れる包丁。たったそれだけで、豊かになる生活。夜になると、小さなステージで1時間と少し歌う。誰かの贅沢になれる様な仕事をしたい。

sketch/2015.3.20

気がついたら、もうそろそろ人生の半分はギターを持って歌っている。これからその時間は逆転していく。新作の録音が終わった。録音の一日は旅に似ている。早い時間のテイクを聞き返してみると、同じ日なのにとても懐かしい気持ちになる。時間が進みテイクを重ねる事で、何度も気持ちが生まれ変わる。生まれた時間を愛せたら、録音は終わる。夜道を自転車で走る。すこし遠い街で、乾杯をする。

sketch/2015.3.19

目が覚めると、それまで見ていた夢の余韻の中にいる。しばらくたっても、そこから覚めない。こういう朝はすっかり減ってしまったけど、たまにやって来てくれる。浮かぶ言葉や音を記録しているうちに少しずつそこを離れてゆく。気持ちを作りに広い公園へ向かう。駐車場に車を停めて、少し歩いてみる。録音の時間が近づいている。心が定まらない。いつになく体も心もバラバラなようなので、放っておくことにした。ベンチに腰掛けて珈琲を飲む。自衛隊のヘリコプターの音がして雨が降り始める。肌寒い一日。夕方になって、録音のタイムラインが走り出す。ギターをつま弾きながら声をだすと、バラバラだった物が一つになる感じがした。

sketch/2015.3.18

朝のほんの少しの時間、稲荷山公園へ。テイクアウト用のカップに珈琲を入れて出かける。すっかり春の陽気。桜はもうすぐ。5分間だけ、公園を歩く。

sketch/2015.3.17

一日中、旅に出たくてしょうがない。春の陽気。16時に録音が終わったので、そのままレッドアロー号に乗って秩父にでも行こうかなどと考える。考えているうちに日が暮れて、この時間の車窓の眺めを想像してやめた。乾燥したキクラゲをもどして、卵と豚肉、玉ねぎ人参と炒める。ストーブが必要ない一日。

sketch/2015.3.16

母の送ってくれた酒粕ケーキは絶品だった。乳製品にアレルギーが有ると分かってから数年。近頃は調味料まで手作りという凝り性。実家に帰ると、子供の頃は少なかった、おふくろの味というのがそこにある。小学校のころは、家の中は油絵の具の匂いだった。アクリル、水彩、木炭、ありとあらゆる画材が散らばっていた。近頃は、染色。帰宅すると作りかけの作品が所狭しと並ぶ。僕らを育て、生活に疲れながら、誰に頼まれる訳でもなく、ひたすら何かを生み出す姿を見てきた。母の才能は、これから開花するのだと思う。 朝食を済ませ、guzuriのテラスで珈琲と酒粕ケーキを食べながら、春を感じる。

sketch/2015.3.15

去年、guzuriの玄関先にオリーブを植えた。冬を越えて、これからどんな風に育つだろうか。ここを訪れる人に、暑い日には小さな木陰を。小雨くらいならば凌げる傘に。大きすぎなくて良いから、太く、根は深く育ってほしい。3月15日はオリーブの日だそう。僕はこの日に生まれて、34回目の、これから春を迎える。店を開けて、珈琲をいれる。食事をつくりサーブする。店を閉めて、映画館へ行く。テレビを見て笑い、水割りを飲みながら、明日の事を少し考える。

sketch/2015.3.14

サニーレタスをちぎる。無心になれる単純作業。というか無意識になれる。考えるというか、頭の中を何かが駆け巡っていくだけの、ほとんど覚えていない時間。今夜は上寿司を食べると決めている。

sketch/2015.3.13

季節の変わり目が行く。風が強く吹いたり、夜は凍て返したりする。日付が変わって、飲みに出かける。実りのありそうな話と、そうでもない話。夜明け前に帰る。

sketch/2015.3.12

道行けば、沈丁花の香り。地下鉄に乗る。人混みは久しぶりな気がした。映画を見て写真展を覗く。久しぶりに歩く道。古い屋敷が取り壊されて、建売り住宅に変わる。移り行く町並み。今夜から明日の朝にかけて冷えるらしいと、深夜のラジオ。

sketch/2015.3.11

植えてから7年くらいになる大木になったミモザ。この冬、テラスの屋根を修繕する際に剪定したので、今年は疎らな黄色の景色。ここ3日間はguzuriの店番をしている。毎日変わらない穏やかな景色。珈琲をいれる。オーダーを受けてカレーを作る。静かすぎる日々。 この4年で、大きく変わった生活。めまぐるしくて、いつ何があったのかも、すぐに思い出せない。そういえば、4年前はイギリス行きのチケットを購入済だった。29歳の3月だった。入間を出て、イギリスに住もうと考えていた。チケットはキャンセルした。日本でがんばろうと思った。もう4年。まだ4年。 珈琲をいれる。同じような景色が行く。すこし息苦しくなる。テレビをつける。あの日の景色を思い出す。帰宅難民の中で思っていたことを思い出す。”いつも通り”の愛おしさを思い出す。 今日はニューリリースの為の撮影をした。

sketch/2015.3.10

カレーを仕込む。傍らでジンジャーシロップをこしらえる。外は風がつよい。夕方まではストーブ要らずの陽気も、夜は冷え込む。寒さもラストスパート。

sketch/2015.3.9

エアストリームの磨きが滞って4日経つ。レシートの山もすこしずつ積もって4日経つ。CDの音が止むと、加湿器の音だけがする。整然とした店内の裏のデスクには、仕事が山積みになっている。明日はまたカレーを仕込もうか。玄米を炊こう。サラダを小豆島のオリーブでたべようか。TO DOを洗い出して、生活を再開しよう。ちらほら訪れるカフェのお客さんと、急に強く降り出す雨。店を閉めて食事に出かけてそのあと。気がつくと午前4時。

sketch/2015.3.8

珈琲や食事が振る舞われる。用品店には春夏の服も並び、アロマの良い香りもしている。演奏も一時間を超えると、ぐずりだす子供もいる。あるいは寝てしまう子供。はたまた、演奏を聴き続けてくれている子。ソファーの寝顔を見ていると、親でもないのに愛おしい気持ちになる。日が暮れて、ゴミを捨てに行く。手をつないで歩く彼の目に、この街のゴミ集積所までの道のりは、どんな風に映るのだうか。同じような家が沢山並んでいて、カフェを何件か通りすぎ、花屋もあって、同じような家の形をしたゴミ集積所までの道のりの事を、明日には忘れてしまうのだろうか。 大人になっても、ふいに思い返す風景がある。なんでその場面を覚えているのだろうか。意味はあるのだろうか。 帰り道で、その手は走り出して僕を置いて行く。扉に手をかけてから、こちらを少し見て、あかりの灯ったguzuriに入って行った。

sketch/2015.3.7

本日のレコーディングに持ち込まれた夕食の献立は、酵素玄米と大豆ミートのカレー。食べていると体が喜んでいる感じがする。そういう食生活がしたいと、体が求めている気がする。深夜のコンビニで、カップヌードルのトムヤムクン味を手に取る。店内をうろうろする。やっぱり棚にもどしてしまう。ここのところ、そんな日がよくある。

sketch/2015.3.6

楽器に耳を近づけるとマイクをどこに立てて良いか分かる。ピアノも、音楽性や弾き手によって良い音がする場所が違う。そして、素晴らしいボーカリストの歌を生で聴ける宝物のような時間がゆく。

sketch/2015.3.5

二十歳で発症した花粉症、この頃はずいぶん良くなった。自転車に乗れば汗ばむ程の暖かさが、春の訪れを感じさせてくれる。いつもは車で走る井の頭通り。自転車だからといって、車の時と印象はあまり変わらかった。スピードに乗る。ふいに歩道との段差でギアが外れる。自転車を停めてギアを付けると、油で手が黒くなった。永福町の踏切で、たまに乗る井の頭線を見送る。これまで生きて来て、始めての気持ちに出会うのは、春が多い気がした。

sketch/2015.3.4

新狭山の定食屋。晴天のドライブ。風向きによって変わる飛行機の離着陸コース。ジェット機の高音とプロペラ機の重低音が交互に飛ぶ。太陽の下では上着の必要が無い季節がやってきた。1時間程、アルミを磨く。アルミは白く錆びている。コンパウンドと青棒で磨く。インパクトドラーバーの充電待ちの時間は手袋で蒸れた指でギターを弾く。夜はまだまだ冷える。guzuriでケーブルを巻き、食器を洗う。次回の録音の準備をしていると日付が変わる。

sketch/2015.3.3

レシートの山を片付ける。きっとまたすぐに山になる。毎日少しずつ山になる。とりあえず、アルミは磨いた。夜になると雨。明日は暖かくなるらしい。guzuriの撤収のち、炭酸泉につかり、エアストリームへ。ターキーのロックを飲みながら、あいつとなんでもない話をしていると、すぐに酔っぱらった。ギターをもち、時計をみると午前3時を回っている。雨音が響く。雨漏りはしていない。明日は暖かくなるらしい。

sketch/2015.3.2

3月も滑り出している。今日から一日に1時間程度、エアストリームの磨きを始めてみる。車体の白いくすみはアルミの錆。1976年以降のくすみが体積している。光るまで骨が折れる。 そして、毎日少しずつ、という単純な事を他にも増やして行こうと思う。たとえば、毎日1品常備食をつくるとか、毎日1カ所大掃除そうじばりに磨くとか。とは思うが、1月末から未処理のレシートの山を見て、無理かもしれない、と思う。

sketch/2015.3.1

今日のレコーディングのお菓子コーナーには、玄米煎餅。書いてある言葉にドキっとする。「人間の体は、私たちの食べた物だけでつくられています。」とかなんとか。そりゃそうだが、知っていたけど、あたりまえだけど、これからの生活に響く言葉。