guzuri sunny session at HADEN BOOKS について

10月のguzuri sunny sessionは入間を飛び出して、南青山にあるHADEN BOOKSで行います。


今回のセッションはHADEN BOOKSとその店主である林下英治(ハヤシタエイジ)さんとのセッションです。


林下さんとの出会いは2012年の夏、西麻布にあるSWITH PUBLISHINGの運営するカフェRainyDayでのライブイベントに出演した時のことでした。当時、林下さんはRainyDayの店長をしていました。その時の印象は、とにかく気配りの行き届いた人だなと、会場入りした時から打ち上げが終わり帰るときまで、それを感じていました。お客様への配慮や、ミュージシャンへのホスピタリティーに対して、共演者だったWaterWaterCamelのメンバー達とも口を揃えて「なんだか、東京のど真ん中に居る気がしないね」などと、驚いていたのを覚えています。


林下さんとの交流はその後も続き、何度かライブにも足を運んでくれました。ある日のライブの打ち上げで、林下さんが自分の店を持つという話を伺いました。そして、その物件の改修工事をする大工さんを捜しているとのこと。そこで話は盛り上がり、僕がHADEN BOOKSの内装をする事になったわけです。その後、古材を探しに遠出したり、イメージを少しずつ共有していきました。本格的に工事が始まるまで半年程かかりました。工事には意外と大掛かりな部分もあり、親方(親方については後日詳しく)と協力して作業を進めました。コンクリートを削る(はつる)ところから、テラスや間仕切り、トイレなどなど、少しずつ手をかけて行きました。お店がオープンした後も、本棚を作ったり造作物は続いています。


そして、いつも工事に入る度に様々な人に巡りあうのも楽しみの一つです。


イラストレーターの小池アミイゴさんや、写真家の中川正子さんなどは、不思議と行く度に出くわします。実はRainyDay時代の林下さんに僕を紹介してくれていたのはアミイゴさんでした。また、訪れる度に感じるのが、HADEN BOOKSには人の連鎖を生みだす引力があるということ。そして、とても気配りの行き届いた空間だと思います。


始めて林下さんに出会ったときに感じたおもてなしは、彼の中での自然な振る舞いとして、今も僕の目に絶えず映ります。


 多くの人が田舎に拠点を移す時代に、青山にこだわりを持ちつづける。その意味は、日々 HADEN BOOKSを訪れる人々によって積み重ねられています。都会のど真ん中にHADEN BOOKSがあり、林下さんが居る事で、循環し、始まることがあるんです。


 HADEN BOOKSが始まる前から、この場所でのコンサートの実現を林下さんと話していました。guzuri sunny session の番外編は、僕がお手伝いをさせてもらった場所で行う特別なコンサートです。目の前が大きな公園のguzuriと、目の前にビルが建ち並ぶ HADEN BOOKS。対照的な二つのようですが、それぞれの窓からの景色は美しく、心地良い場所です。そこに流れる時間と音を感じて頂ければと思っています。


 因に、HADEN BOOKSのロゴにあるツバメの絵は、さかなのギタリストで絵描きの西脇一弘さんによるものです。僕のPUFFIN RECODSのロゴやミニアルバムCountryMadeのジャケットの絵も西脇さんによるものです。HADEN BOOKSでは西脇さんの大きな絵も2枚見る事が出来ます。


 そんな風に、時を重ねることで生まれる繋がり。


今日もHADEN BOOKSでは日常の風景としてそこに在るのでしょう。

小豆島ライブ【満月バー in タコのまくら】

小豆島でのライブはこの一年間で実に4回目。今回の小豆島行きはトシさんの一言が切っ掛けでご縁が生まれました。


SASAKLA&JohnJohnFestivalのジャケットを描いてくれたダニーちゃんの紹介で島への繋がりが生まれ、始めて島へ渡ったのが去年の11月末でした。一度目は坂手港にある【ei CAFE】の多目的スペース【ei STUDIO】。二度目は今年五月、馬木地区にある瀬戸内芸術祭の作品のスペース【umaki camp】。3度目はトシバウロンと巡った四国ツアーの際に【ポンカフェ】にて。
そして今回はグランドオープンが間近に迫る、池田港近くのカフェ、【タコのまくら】にて。


今年の7月にトシバウロンとのツアーで島を訪れたライブの翌日。
1度目のライブからお世話になっている移住者の大塚一歩さんが、umaki camp でピザパーティーを催してくれました。奥さんの智穂さんはポンカフェで働いていて、その他ライブ会場でも、いつもとてもおいしい料理を振る舞ってくれるのですが、その日はumaki campの窯で手作りピザを焼いてくれました。地元の人達とワイワイ楽しんでいると、とても雰囲気のあるおじさんに出会いました。よくよく話してみると、僕の住む入間狭山地区や米軍ハウスの事もご存知で、話の内容も実に興味深い感じを受けました。のちに分かるのですが、平野甲賀さんという日本のデザイン界では雲の上の様な人だとのこと。
奥様の平野公子さんと、最近移住されたイラストルポライターの内澤旬子さんが【満月バー】なるイベントを企画中で、誰か演奏者が居ないか探しておられました。トシさんが「ここに居ますよ〜」的な軽いノリで僕に話を振ってくれました。僕も「やりますよ〜」という感じで、次回の小豆島行きが決まった訳です。また島に来れる切っ掛けが出来て、詳細も何も決まっていないけど、島に行く事だけはその時に決まりました。トシさんのアシスト無しでは今回の小豆島行きは有り得ませんでした。サンキューバウちゃん。


会場は池田港の近くにある古民家を5年かがりで改装中(7月時)のカフェ。名前は【タコのまくら】。改装中のタコのまくらはオーナーの山ちゃんと、大工さん、数人のスタッフさんで作業中でした。初対面の山ちゃんと10月のイベントの話をして、その日がオープンになるという事を聞き、とてもワクワクしました。普段、内装仕事もしている僕の目に、タコのまくらは本当にキラキラして見えました。古民家の改装はいつかやりたい事の一つです。
そして今回、出来上がったタコのまくらは本当に素晴らしく、隅々まで手の込んだ、その仕事を見る度に身の引き締まる思いがする場所になっていました。


こけら落としのライブは、満月の夜、しかも月食の時間帯に、山ちゃんのスピーチから始まりました。スピーチを聞きながらホント気の引き締まる思いでした。
振る舞い酒で乾杯をして、ライブの後はタコ飯や沢山の料理が振る舞われました。
潮騒が聴こえます。道を挟んで低い堤防があり、そこに腰掛けて月を眺めながら思い思いの時を過ごす人達。タコのまくらからこぼれるのは、ひょうたんランプの優しい明りと、にぎやかな声。


日常の中の特別な夜。話を聞く度に、5年間の改装工事の過程の凄まじさを、しみじみと感じる。そして山ちゃんの人生の山あり谷ありを聞き、さらにしみじみしました。
5年前の自分を振り返る。JohnJohnFestivalとも出会っていない、小豆島の縁ももちろんない。
入間のguzuriもまだまだ今のように人を迎えられる状態ではなかったです。
タコのまくらの工事が5年前に始まり、2年半前に一歩さんが移住、その後、甲賀さん、内澤さんが島に移住。そうやって人と人が繋がり、満月の夜、タコのまくらに集うことになった事を思うと、日々を大切に紡いでいく喜びを、改めて感じざるをえません。今回のタコのまくらでの【満月バー】は、それぞれの5年間が集結した日でもありました。そしてそこからがまた始まりでもあり、島で頂いた感謝の思いを糧に、日々の仕事に帰っていこうと思います。


12月4日にはトシバウロンと小松崎健さん、岡林立哉さんの3人による【カルマン】のライブが小豆島のミレニアムホールであります。ハンマーダルシマー、馬頭琴、ホーミー、バウロンの音が、島の空気と解け合って素晴らしい時間が流れるのが目に浮かびます。


行きたいな、行こうかな。


カルマンのFacebookページ
https://www.facebook.com/karmanmusic?fref=ts

笹倉慎介のAirユーストリーム、特別番外編 【いってらっしゃい、まーさん堂の 回in 高知 terzo tempo】

笹倉慎介のAirユーストリーム、特別番外編 【いってらっしゃい、まーさん堂の回in 高知 terzo tempo】


今回のユーストリームは、高知のカフェterzo tempoの佐野くんと、同じく高知のゲストハウスとサーターアンダギー販売をしている、まーさん堂のまーさんをゲストに迎えてterzo tempoよりお送りしました。
今回は、まーさんが12月に石垣島へ行ってしまうという事を小耳にはさんだ僕が、これは行かなければ!という思いで企画しました。まさかのまーさん石垣行きは、今や日本中のまーさん堂ファンに衝撃を走らせています。香川県小豆島での演奏がずいぶん前から決まっていたので、これを機に高知へ行ってしまいました。


ご存知の方も多いと思いますが、佐野君は高知でterzo tempoという素晴らしい場所を築き上げてきました。いつもすてきな人達が集まる場所で、まーさんもその輪の中で出会った青年でした。高知へ行く度に彼らの生き方に触れ、いつも刺激をもらっています。
佐野君と僕は同い年で、お互い26歳の時に高知と入間へ移り住み、それぞれの場所で8年目を迎えています。まーさんは今26歳。26歳という年は、僕の周りだけかもしれませんが人生の転機の年なのでしょうか。過去と未来を話す26歳の瞳に僕自身も気の引き締まる思いでした。


放送前に高知市内の居酒屋で一杯引っ掛けながら、ひと通り近況交換をした所で、それぞれのターニングポイントとなる【26歳】というキーワードも生まれ、深~い話をする予定でいたのですが、高知のうまい魚と酒に溺れてしまい、いつも以上に締のない放送となってしまいました。
佐野君とは、彼の高知での8年と僕の入間での8年、お互いの輪がずいぶんと交錯しているという事もまた、深い酒になってしまう要因でもあります。
そしてまーさん、元システムエンジニアの彼が、様々な職を経験した結果、今の生活へ辿り着くまでの話はとても興味深く、そういう所こそ、放送したいところでした。しかしながら、その話は深夜のラーメン屋台でのこと。もろもろ大反省しながら、つきあってくれた佐野君とまーさんに感謝しています。


この番組、グダグダで締まりのない感じですが、そういう関係性になる前に、真面目なお互いの部分を知れているという大前提のもとお送りしています。普段、大真面目な事を、大真面目に人に届けるという事をしている人たちの、ちょっと砕けた人間模様が、面白い人には面白く見て頂けていたら、などとも思っています。
いまのところ、そんな番組【笹倉慎介のAirユーストリーム!】第三回目はin 高知でお届けしました。急遽、配信を見に来られたお客さんも交えての72分間。
まーさんが言うには洗濯物を干したりたたんだりする時に聞くのがオススメとのこと。


佐野君のこれからと、まーさんの門出に乾杯!


次回は11月のどこかで、ゲストは未定。

sketch/2014.9.22

 


八王子美術館で出会った一枚のポスターに描かれた風景。
ある家の、庭から縁側を望む景色に、しばらくボーッとした。
「背景が語る」と書かれたポスターに理想の家を見た気がした。夏のある日のこと。山本二三さんの背景画だった。


【山本二三(やまもとにぞう/1953年-)。アニメーションの美術監督・背景画家】


 そして今日、静岡市美術館で行われている、山本二三展へ。展覧会は9月23日までだった。せっかく静岡へ行くのに、実家へ寄る間もないスケジューリングだったけれど、行けて本当に良かった。


僕が見たポスターの絵は、2006年公開「時をかける少女」の主人公の家の縁側の風景だった。その作品を見た事はあったれけど、覚えていなかったので、作品を見直した。その場面はあっけないくらい一瞬だった。
そんな一瞬だけの為の絵に、僕は心を奪われた。「未来少年コナン」「名探偵ホームズ」「じゃりんこちえ」「火垂るの墓」「天空の城ラピュタ」「もののけ姫」など、これまで見た事のある作品の数々。
アニメーションの世界のことはよく分からない。でも、山本さんの描く背景によって、明らかに物語も登場人物も、より輝きを増しているのだった。これまで、【背景画】という視点で作品に目を向けたことは無かったけれど、物語の一部として【背景】を感じていたのだと思う。その感じていた部分に、とんでもない衝撃を受けた。ストーリーの中での一瞬の背景は、感動的なくらい、とんでもない効果をもたらしていた。


展示室を進むに連れて、僕の中で釈然としない何かがはがれ落ちて行った。


僕はよく、一瞬の風景と感情の描写を歌にする。
もともと移ろいやすいから、そんな一瞬の感情の中で、普遍的であろう所を汲み取って、
どんな時代の自分でも歌えるように、言葉を選んで曲を書いて来た。
しかしそれが、歌の力として、足りない事も感じていた。


でも、今日の沢山の背景画を見て、それで良いと思った。
そこに登場人物が現れると、時間が動き出すのだった。


僕は、瞬間を2、3分に引き延ばす。
その数分間は、誰かの人生を彩る魔法のような時間になるかもしれない。
僕の作る歌は、誰かの背景のようにそこにあるだけでよい気がしている。
あるいは僕自身もまた、その歌の客人で在りたいと、思うのです。
そんな風に歌と共に在りたい。



今は新しいアルバムの構想に入っている。
歌詞のないメロディーが山ほど入っているボイスレコーダー。


イマジネーションは世界に溢れている。
そこから沢山頂き物をする。
ありがたく頂いて、誰かの心に触れる歌を歌いたい。


山本さんに、いつかお会いしたらお礼を言いたい。



2014年 秋のはじまりあたりのこと

sketch/2014.8.13

真夏の京都。蝉の音も静寂の一部のような石庭を抜けると、京都の町を見下ろす斜面にその墓地はあった。花を添え、線香を立てる。先日発売したアナログレコードを供え、墓石に手を合わす。


入間に引っ越したその年に、エンジニアとしてguzuriを訪れた藤井さん。最初も最後も同じ玄関先で言葉を交わした。
実像をデフォルメして、よく見せようとする事をあまりしない音つくりを見ていて、「音はこの人に任せよう」そう思うまでずいぶん覚悟が必要だった。彼は録音をして行く過程で、欠点を補う様な作業を本当に嫌っていた。彼の愛する音楽はそこに無い気がした。4年くらいはスタジオを使うエンジニアとして、そしてスタジオや音楽活動についての相談相手だった。数えきれないほどの言葉を交わし、ここ数年ようやく1枚のアルバムやコンサートを共につくり、これからの展望を話しはじめた矢先の他界だった。
そういえば、いつでも藤井さんと話した後は課題が幾つか見つかって、それに向っていく日々だった。この人のマイクの前で堂々としていられるミュージシャンになりたい。そう思った。
僕自身、エンジニアとして、またミュージシャンとしての側面から彼の仕事を見ながら、音楽への向き合い方も変化していった。彼の膨大な語りのすべてを把握する事はできないが、今でも様々な場面で、ふと、ある夜の言葉や、下北沢のカビ臭い珈琲店での会話が、蘇ってくる。
そして、guzuriの扉の前に立つ姿が、お守りのように焼き付いている。


真夏の京都。そんな日々を思い出していた。京都へ来たらここへ来て、ボーッと石庭を眺めて、いろいろなことは、この場所で解決してしまいそう。
藤井さんはそこには居ないかもしれないけど、とにかく、そこへ行けばいい。
世界中でたった一つの聖域を、最後にもらった気がした。


日がずいぶん傾いてから、京都の町中へ。
藤井さんの話を夜遅くまで。


藤井さんの生きたって事は、まだ続いている。
こうして勝手に受け継いだ気持ちでいる。


 

guzuri sunny session Vol.4

guzuri sunny session Vol4 にお越しいただいた皆様、ありがとうございました。


昨日は、SASALKA with 市川和則 そしてジョンちゃんも来る事ができましてSASAKLA&JohnJohnFestivalという内様でした。


一日では対応不可能なバリエーションのお客様のおかげで、終演後はすっかり飲み過ぎましたが本日はsunny sessionの片付けをしながら店を開けました。


テラスのカップル。赤ちゃんをソファで寝かしつけくつろぐお客様。今日も思い思いに時を過ごしてくれています。


僕は珈琲をいれて溜まった事務仕事に手を付け始めています。


昨日は快晴の天気から、ゲリラ豪雨、そして天気雨。映画の様な一日でした。sessionというわりに、vol4にて始めてのゲストを迎えましが、やっぱり一人より楽しいです。温度を感じながら演奏出来る喜びを改めて感じています。今後も定期的にゲストを迎えたいと思います。


 久々のJohnJohnFestivalとはTrekTrekをぶっつけ本番でやったのですが、音を出した瞬間にすべてが蘇りました。不思議な感覚でした。


来月に旅を共にするトシバウロンの動きのキレに改めて二人旅の不安を感じww、安定のパフォーマンスの後、豪雨の中イスラエルへ旅立つアニー君の勇ましい後ろ姿を見送り、ジョンちゃんの美しいフィドルの音色に寄り添いました。


羊毛君のギターのタッチには、歌唄いに寄り添って来た独特のタイム感を感じ。二人でのトークに大きな不安定感も感じww。


 そして何より、お客様や皆が思い思いに時間を過ごしてくれているように見えたので嬉しかった。


 guzuriではワークショプや朝市など、定期的に催しも始まっているのですが、そのどれもがスタッフや周りの仲間の発案による物です。僕は場をつくる事は得意ですが、それを生かす事が不得意だったのだと、この頃気づかされています。改めて人との繋がりや周りのスタッフに感謝するとともに、これからもより良い場をつくって行けるようにと思います。そして音楽も同じように、場であれたらと思いました。


guzuri sunny session、今後ともよろしくお願い致します。


 


さて、これから夏へ向かいます。


蝉がうるさくなると録音もオフシーズンです。guzuriはほとんど定期的にオープンするようになっています。


もっと自由にここに来て、勝手になにか始めて下さい。


この夏、僕は旅に出たり、エアストリームのアトリエの修繕や、友人宅に海洋コンテナの防音室を作ったり。ライブをしたりしています。


夜は出来るだけguzuriで夜カフェをしていようと思います。夜な夜な珈琲を飲みながら、読書や課題ができる場を作りたいです。


ごきげんよう


さようなら

sketch/2014.4.10

小さな女の子が話しかける


「風さーん、もうやめて〜」


「風さーん、早くお家にかえってよ〜」


とっても風の強い一日

sketch/2014.4.2

準備 準備 準備


下地 下地 下地


養生 養生 養生

sketch/2014.3.19

15日のことから書くと、とにかく幸せな誕生日からの流れだった。夜景の綺麗なスパで、割とあっさりとした打ち上げの後で一人になると、心地よい幸福感に包まれた。もう気がついていたけど、大先輩達の傘の下でぬくぬくとした気持ちでいたのだった。この頃の僕は、音楽を誰かの為だとかそんなこと思わずに、ただ音楽と共にある事に喜びをみている。今は。


そのパフォーマンスの為に人生の多くの時間を捧げている。でも、それが社会貢献になっていないのであれば、対価をもらってはいけないと思っているのだけど、それが実のところ自分では判断できない。それをマネージャーやスタッフに尋ねたことがあった。その答えで僕は今も人から対価をもらう現場へ出て行く勇気をもらっている。とにかく何かの役に立っていないと、自分のやっている事に意味を見いだせない。誰の為でもなく音楽をただ喜びとしている裏で、それが誰かの為になっていないとやってられないという問題は、とても人生らしく、もう何度もこういう問題のもとで音が生まれている。


15日のライブと17日のライブ。


どちらも僕は大きな傘の下で音楽をしていた。リクオさん、チャボさん、花田さん、おおはたさん。


とっても近くで、素晴らしい景色を沢山みせてもらった。僕よりも沢山の景色をみているその目の中を覗き込んだ。思い返すと、いろんな事を考えながらしばらくボーッとしていられそうだ。もう二度とあの時間が戻って来ないという寂しさが積もってく。二つのライブの景色が違いすぎて、しかも客人として出演することで、自分の居場所をすっかり見失った気がしている。いい意味で振り出しに戻った。


今、近所のカフェは、バカみたいにうるさくてガヤガヤしているけど、とても集中できる。なんだろな。ブログ、FBやツイッターで感謝の気持ちを伝えるのが好きではないのだけど、自分のこと書かれてると嬉しいのは、せこいな俺。


ふと思う、 美しく綺麗な言葉に引かれるのは、それが僕にはそもそも欠けている物だからなのかもしれない。と。


子供の頃から三日坊主の僕が、音楽だけは長く続けられているのは、そこにあるのかも。いつも歌う情景には普遍性がある。そう心掛けている。自分の移ろいやすい気持ちや、常に変化して行く日常の中に、普遍性を求めて安心しているのだろうか。だから、歌を歌う時だけは、安らいでいられると、そう思うと納得出来る。なので、決して僕は歌の中の様な人ではないし、それを自分で思うのも多少へこむ。憧れであり、そうありたいと思う。


そして、そもそも社会貢献しているのか、、という問いにもどると。ある人にとっては、金とるんじゃねぇになるだろうし、ある人にとっては、絵画をみる様な気持ちにもなるだろうし。


僕は、僕の作る曲を愛しているし、それは僕が作ったんだけど、もうもしかしたら僕じゃないので、作品自体にいつまでも恋をしているようでもあるので。つまり、僕は演じるけど、ある意味、曲自体の客人なのだと思う。それを表現する為にギターも歌も練習する。


ここまで来て、こんなつらつらした文章を、いつも書いては消す。という言い訳をたてて、今日もアップするだろう。


僕は、移ろう人間だから、作り出すものだけは移ろわないで欲しい。


 


あー、また話がとんだけど、僕のキャパでは薄っぺらい感謝にしかならない。それでも、リクオさんと出会って、少しずつ新しい芽吹きが生まれているのは確か。周りにも新しい事を始めている仲間が何人もいる。助けられている。


感謝って、なんだろう。


ありがとうなのか。。


違うなぁ、、


ありがとうを、行動で示して、始めて感謝になるんだと思う。


たった一通の手書きのハガキや、僕の知らないところで僕の事を思ってくれた発言も。感謝は、態度で示すことだと思う。それがFBやツイッターでもいいんだけど、僕の場合は違う方法でやりたい。思い返すと、沢山の感謝を僕はほとんど出来ていないと思った。


 あー、今日は辿り着いた。長い思考のあとで、辿り着いた。


一つは。 僕が人前で演奏する目的は、ありがとうを届ける。表現を許してくれてありがとう。その音楽が、癒してくれて、いろんな景色に連れて行ってくれて、喜びや、表現の糧に、僕にも、あなたにとっても、生活の糧になるようにと。その表現の為に僕は沢山の時間を捧げて来たし、これからも捧げて行く。


しばらく、そんな気持ちでいられそうだ。


なんだか、結局ファーストアルバムの歌詞カードに書いたメッセージみたいになってる。まあいいか。そういうことか。


 


そして、同じステージで音を重ねる瞬間は尊く、お互いの人生を切り取った貴重な瞬間に敬意を込めて演奏したい。リクオさん、チャボさん、花田さん、おおはたさんとのステージを終えて、大きな二日酔いを経て。辿り着いた。これまでもそういう気持ちではいたけど、これまで以上にそうでないと。


おかわりのアメリカン珈琲も3杯目で、やる事沢山あるけど、順番めちゃくちゃ。新しい手帳がほしい。


ニールヤングの自伝の影響が未だに強いな。


理屈っぽいねと、よく言われる。これは僕の性分だけど、好きじゃない。


だから理屈抜きに伝わる音、というか僕の場合は声を選んだのだと思う。

sketch/2014.3.11

東日本大震災から3年。


アスファルトがこんにゃくのようにうねり、ビルとビルはぶつかりそうなほどに揺れていた。


吉野家の牛丼は売り切れ、タクシーは捕まらない、携帯は繋がらない、自転車は売り切れ、とにかく帰りたい、そう思った。飯田橋と九段下の間にあるサンマルクカフェ。小さな揺れが次第に大きくなって行く。外に飛び出す。もう揺れが大きくなりはじめてからは文明は機能しなくなっていた。


よくよくこの日を思い出す。


不謹慎だけど、あんなふうに大地がうごめく事にとても感動した。太刀打ち出来ない大きな力を目の当たりにして、目が覚める思いだった。


それでも、ビルは倒れなかったし、東京の人々は生きていた。沢山のものにまだまだ守られていた。なんとかなるという、たかをくくっていた。たくさんの事がなんとかなってしまった。


政治、経済に関心を持ち、会社を作り、世界を知れば知るほど、沢山のことに諦めがついた。知らなくても良い事を知る事で、失われた心を取り戻す為には、徹底的に知る事だと思った。


そして、その中にいる意味を少しずつ受け入れてきている。


 


あの日の失われた命に、僕の心はどれだけ、痛んだのだろう。もしかしたら、遠い砂漠で難民が空爆を受けた事のように、遠い痛みなのかもしれない。それが悲しい。


藤井さんは、すぐに福島へ向かったという、津波のあと、アメ公(アメリカ軍)はやっぱり災害慣れしてて頼もしかったと言ってた。僕は行動しなかった。大切な人と居る事を選んだ。TVでふくいちの爆発をみたときも、本当に情けないほどに実感はなかった。坂上次郎さんは「空襲が隣町に来ても、隣の家に火が上がるまで実感が無いんです」戦争をそんな風に振り返っていた。


そう、実感もイメージも出来ない。多くの人はきっとそうだと思う。薄情でもなんでもなく、それが人間だと思う。


3.11の後、音楽は決して無力ではなく、人々の心の灯火になったと思う。そういう活動をする音楽家をたくさん知っている。そしてみんなそれぞれ葛藤しながら音を出していたのだと思う。そしてそれは確実に誰かの光になった。


僕はそういう活動はできなかったけど。


3年たった今、僕は自分のやりたい事に関わる人を幸せにしたい、そう思っている。僕の音楽を好きでいてくれるひと、音楽活動や会社をサポートしてくれるスタッフ、guzuriに集まる人々に、家族に、幸せな時間を過ごして欲しい。今はそれで精一杯。


原発や政治に関わる活動家や、ジャーナリストの皆さん、そして個人で発信してくれている人達には本当に感謝している。いつも新しい情報を与えてくれて、僕は無関心にならずにすんでいる。PUFFINを立ち上げた時の志も、持ち続けていれる。


 平成23年6月20日作成 PUFFIN 株式会社 定款 目的 第2条 その5


 | 太陽光等自然エネルギーでの発電による余暇電力の売却 |


 


そして、僕自身に何か力になれる時が来たら、惜しみなく心を注いで行きたい。


 


3年前の今日、命を落とされた方のご冥福を心よりお祈りいたします。


世界は確実に変わっていますよ。