思うように行かない事ばかりである。
思うようにやるためには必ず通る過程である。
八つ当たりをしてはいけないので、人と会うのを控える。
この季節、桜吹雪きに出会うと何とも言えない幸福感に包まれる。
満開は好きじゃない。咲始めや葉桜が好きだ。満開などを見ても、気持ちの行き場に困る。
ずっと出来ずにいた恩返しの気持ちもあったのだけれど、一緒に音を鳴らすと、それどころか、私はまたもや、沢山頂いてしまったのだ。
満開は少し行き過ぎ、ハラハラと舞う花びらの記憶がまたひとつ生まれる。
去年の今日は、春の嵐だったと羊毛くんは言った。
赤坂の夜はギラギラしていて、客引きの少女のあどけなさが、この街には不釣り合いなのか、それともこのネオン街の本性なのか私には見分けがつかない。
池袋で寿司をかっ込んで、そのあと電車に揺られていても、いつかのように鬼気迫るものはなく、ただ削ぎ落とされてゆく感覚。
午前4時。頭がフリーズ。
やっとギターを手にするものの、すぐに力つきる。
長く延びた爪が、不意の力仕事でぐにゃりと折れまがるが、爪は折れず一瞬はがれ内出血に近い状態の指が2本。そして手首のけんしょう炎。
そして、時間がいくらあっても足りない。
市民運動をしている人々に触れると、私自身が少し充電される心地になる。
その感覚はもしかしたら、私が歌う事で誰かに与えているものに近いのではないだろうか。そんな気がする。
明日のイベントで振る舞うドイツ料理の仕込みで一日が終わる。今年は料理にも力を入れたいと思うのだが、一筋縄ではない。
丸一日充電している車のバッテリーの様子をうかがいながら、ピザ生地の発酵をまち、ギターにさわる。ラチェットを片手に車の下に潜ったりもする。
私の手の向かうところはいよいよ、とっちらかっているので、せめてもと物をいろいろと捨て始めている。
この日に来るメールの内容は楽しみだったりするが、ここ数年のこの日はとくに誰からも音沙汰がない。
私も特に面白いことを考えたりする事を辞めてしまっている。