sketch/2016.1.9【17回目の冬】

 引っ越しの日。2007年の今日は、荷物を満載にしたゴルフ2で富士宮を出発した。国道139号線、通称大月線で富士山の裏側へ向かう。まかいの牧場、朝霧アリーナ、本栖湖を抜けて富士急ハイランドまで北上。そこからは高速道路で八王子まで。国道16号線をさらに北へ。福生、瑞穂を抜けると入間市だ。あの日は5時間程かかったのではないだろうか。以前住んでいた習志野までも3時間はかからなかったので、随分遠いところへ来てしまったと思った。しかし翌年には圏央道が中央自動車道と繋がり、一昨年は東名まで開通した。今では2時間程度で実家まで辿り着く。入間ICまで5分、新富士ICを降りて15分。今日で入間に来て9年。シンガーソングライターになって17回目の冬。

sketch/2016.1.8【寝酒が深酒に】

 夜が深くなる少し前に、いつもの扉をあける。とりあえず貸し切り状態の店に腰を下ろす。アド街ック天国を見ていないという連れの要請により、アフロの板前さんが録画を流し始める。とたんに酒がまずくなる。自分の意思が反映されていない自分を見るのはなんとも自虐行為だ。よって、次第にクダを巻きはじめる。「ほっとレモン事件はやはりお前が悪い」から始まり、気がつけば午前四時だ。ちょっと寝酒のつもりが、深酒になる。

sketch/2016.1.7【ペットの使命】

 八国山緑地の坂を上り、’’いなげや’’のカーブを抜け、セブンイレブンの手前の坂道でふと思う。なぜかパッと思う。


 癒しとは、自分の優しい心を感じることだと思う。少なくとも私にはそうだ。数日前の朝にすれ違ったおばあちゃんの無垢な眼差しに、私は癒された。あの気持ちが何なのかずっと考えていた。例えば、誰かに優しくされても、自分がそれを受け入れられなければ、いい気分になどならない。笑顔を向けられたら、笑顔で返せてこそ、いい気分になれるものだ。私はおばあちゃんに優しくされた訳でもないが、優しい気持ちを頂いた。そんな事を分析していると、ペットのことが浮かんだ。


 ペットの使命とは、『人間の無垢な優しさを維持する事なのかもしれない。』犬や猫の愛くるしさ、お腹がすいた時の現金な振る舞いに、私たちは『癒される』と表現する。しかしそれは間違いだ。彼らに向ける事の出来る愛情に、人間自身は満足し癒しの効果を味わっているのだ。癒しとは、自分の中の優しい心と向き合えた時に訪れる。そう考えると道行く犬や猫も神の使いに見えてくる。私にとっては。

sketch/2016.1.6.その2【昨日よりも肩がすくむ】

 吉祥寺の路地を行くと未だに、ある時代の記憶が鮮明だ。何度も通った道の脇の奥に、一度も降りた事のない階段がある。とあるテレビ番組で、はっぴぃえんどのアナログマスターテープを再生していたスタジオだ。機材のごった返す階段室を下りてスタジオに入る。リクオさんのデータをコピーしていると「新譜の盤、まだだったよね。」と、近藤さんの優しい笑顔に遭遇。私の恩人の1人だ。奥のスタジオに居る栗原さんにも挨拶をして、再び階段を上がる。こちら側から通りを眺めるのは始めてだ。見慣れた通りにまた新しい景色が加わる瞬間、である。そしてまた駅まで歩く。ハバナムーンの前を通るのは寂しいので辞める。吉祥寺には、そんな場所がちらほらある。この町を愛した沢山の人にとって、そういう町なのだろう。ヨドバシカメラで充電していたiPhone4sを回収し、再び杉並のアトリエに向かう。ちょっと高い魚屋でマグロのカマを買い、酒屋にも立ち寄る。私の傷には決して良くないであろうビールも買い、夜道を歩く。ハバナムーンがやっていたら一杯ひっかけていただろうなぁと思いながら。


 冬らしい冷え込みではないが、昨日よりも少し肩がすくむ。


 


登場人物:近藤さん(近藤研二)元、栗コーダーカルテット、2355の音楽監修で、私を佐藤雅彦さんに推薦してくれた恩人/栗原さん(栗コーダーカルテット)/リクオさんはリクオさん/ハバナムーン:店主が口うるさくて優しい店だが今はもう無い

sketch/2016.1.6【シエスタにもたれながら】

杉並のアトリエの為に買った、70年代のシエスタというチェアにもたれながら、窓の外を見ている。高い枝の向こうに夕焼けが始まる。私はいつだって世の中のいいとこ取りを目論んでいる。およそ他人の事などどうでも良く、自分の事で精一杯である。そして、そういう想いはとりわけ表に出さず、世の中を渡り歩いている。他人への善意さえも、自分の利益の範疇に納めるように、常に心掛けている。だからこそ、道行くご老人に対して抱いた想いが、我ながら愛おしく、我ながら胸を打たれるという訳だ。夕焼けが終わる。日は伸びているはずだけれど、まだ実感はない。ある日突然、『まだこんなに明るい。』と、今年も思うに違いない。

sketch/2016.1.5【怪我の功名】

うららかな日が続く。白髪のご老人と、二日連続同じ路地で、同じ時間にすれ違う。腰はぐっと曲がっているが、お化粧や身だしなみは完璧だ。前へ進むのに一生懸命で、私の小さな挨拶など耳に届かないほど真剣な表情をしている。そんなご老人に私の心は無条件降伏し、いつでも手を差し伸べたいという気持ちになる。おかしな話だが、自分の優しい心に胸を打たれると、まだまだ私の心は平気だなと思う。左手の傷が痛む。すべてがこれまでよりもゆっくりとしたペースで行われている。時間の流れも、ここ数年で一番ゆったりと流れている。

sketch/2015.1.4【うららかな午後】

 依然として暖冬である。暖かいので傷の治りも早そうだ。しかしギターは弾けない。喫茶室のモーニングセットも右手だけで食べる。本を読みながらの食事もおあずけだ。実のところ、師走のライブ納めからギターを弾いていない。弾きたいとも思わなかった。しかしだ、怪我をしたとたんに弾きたくてたまらない。指先がムズムズするから不思議だ。午後もうららか。三月下旬の陽気らしい。

sketch/2015.1.3【人は簡単に死ぬ】

 一瞬の出来事に『人は簡単に死ぬな、これは。』そう思った。


 どうすれば数分前に戻れるか?とか、嘘であって欲しいとか、頭が錯乱する。しばらくして、自分自身への怒りがこみ上げる。これまで見た事が無い具合に私から血が溢れ出す。肉の中は丸見えだし、私の身体が壊れてしまったと思った。取り返しのつかない事態に、ちょっとしたパニックだが、実際のところ死に直結する事態ではない。ノミで手の平をざっくりやってしまい、全治2週間である。


 最近見た映画では、負傷した兵士が「くそっ!なんてこった。」と命の最後を悟るシーンがあった。命の最後程ではないが、その片鱗を垣間みた気がした。これまでに、骨折とか大きな怪我や病気経験の無い私だが、もちろん大工仕事でも大きな怪我はしたことが無い。ギターを弾けなくなると困るので特に注意していたのだが、ついにこの時がやって来た。


 過去にギターを弾けなくなった時期は2度あり、一カ所は右手親指の付け根、もう一カ所は左手人差し指の第二関節。それは今でもたまにうずく。(どちらもバイト先の厨房での負傷。)今回は左手親指と人差し指の中間あたりだ。当然ギターは弾けない。そして、観念した。『今月はギターを休む、珈琲店も暫く休む』と。そして幸いにも、今年の私は文筆家であり、キーボードが叩ければ、いや、最悪でも右手でペンが持てれば仕事ができるのだ。滞っているミックス作業にも支障はなく、リクオさんの新作の作業も始まるかもしれない。ギターが弾けなくて、珈琲店が出来ないのはむしろ好都合である。さらに『神はすべてお見通しだ』などと、持ち前のポジティブな思考を展開している。


 私は元気だ、声も良く出る。ミックス作業中にはきっと、ヒロト君やななこちゃん、そしてリクオさんの歌声に合わせて歌うだろう。そして『いいコーラスが浮かんだらそっと入れてしまおう。ギャラは後から請求してみよう。』だとか、そんな冗談まで考えられる程に元気だ。そして、懲りもせず再び大工仕事を始めるのだ。


 三が日の締めくくりは、真っ赤な鮮血の源を見た。私の身体の中が丸見えだった。良くも悪くも毒出しだと思う。そして肝に銘じたい、人は簡単に死ぬのだと。

sketch/2016.1.2【春よ来い】

 米軍のお膝元、瑞穂。巨大なホームセンターが鎮座するこの町は、大瀧詠一が晩年を過ごした町だ。大瀧さんが息を引き取ったあの日も、私は今日と同じように、このホームセンターにいて、年の瀬の夕暮れを横田基地を見下ろす屋上駐車場で見ていた。


 そこそこ外国人も多く、輸入建材などに囲まれていると、クリスマスイブの西武園とはまた違った異国情緒に触れる事が出来る。いつものように、バカでかいフードコートの片隅にあるドトールでアメリカンをすすっていると、また良からぬ思考が渦巻いてくる。


『この国は、アルファベットに支配されてどのくらいだろうか。』


 そして銀色のPCを開く。資材コーナーの片隅には木材を満載した私のショッピングカートが放置してあるのだが、許して頂きたい。私は文筆家なのだ。MacBook Airは肌身離さずなのだ。


 さて。


 第二次大戦後、日本は公に植民地という体裁ではなかった。諸説によると、日本の政治と経済は常にアメリカの意向が反映されて来たという。それを当然とするならばこの国はいったい何なのだろうか?


 『さながら植民地政策の進化系が、この日本という国の正体だと思わざるを得ない。』


 新年から縁起が悪くて、申し訳ない。


 戦後の日本は確かに素晴らしい復興を遂げた。映画やドラマでも、その時代を輝かしく讃えているし、実際良い時代だったのかもしれない。そして、バブル経済は私の住む小さな町にも恩恵をもたらしていた。


 祖父の営むスーパーマーケットは連日の大にぎわいで、夕方の店内は歩くのも困難であった。そうして私は、小説家の子供でありながら、小説家の子供らしからぬ、お金には不自由の無い人生を歩む事が出来た。父の直木賞の恩恵よりも、バブル経済の恩恵の方が遥かに私の人生を潤してきた。


 さてと。


 決していい気分ではないのだが、この国を家畜に例えさせて欲しい。羊としておこう。羊飼いはアメリカだ。この国は逃げ惑う羊と同じで、追いかけられもするが、守られていもいる。時には愛でられもする。結局逃げ切れずに毛刈りが始まり、そのあとはラムッチョップにされる。


 要するに、育てられ、収穫され、殺され、食べられる。それはそのまま、高度経済成長、バブルの崩壊、そしてTPPに当てはまる。実に良く出来たシナリオだ。そして壮大な70年であった。そうして、今度は新しい羊達を探しに、再び戦地へ放たれようとしている。


 ここで、おかわりしたアメリカンをすする。ドトールのBGMはなかなか良い。


『大瀧さんは晩年、どんな事を考えていたのだろうか。瑞穂の自宅で、弾き語りくらいはしていたのかな。聴きたかったな。ここのドトールにも来た事があるかもな。』そんな思いもちらつく。そして店内のBGMに乗って私の空想紀行は続く。


 御上達のする事は’’どうかしている’’とは思うが、私たちはすっかり豊かだから攻撃的にはなれない。ピースマークを掲げたデモなんか、彼らは恐れていない。【豊かさは最高の餌】だと彼らは知っている。衣食住には困らない。アコムだってプロミスだってあるのだ。私などは意気揚々と霞ヶ関の階段を上ったが、デモの時間を間違えてしまう有様で、挙げ句の果てには足を運んだ事自体に満足している始末である。


 戦後70年を経て、この国はまだまだ放牧中の羊ちゃんだ。国会に向かって叫んだ私の声も、さっきまでいたはずのデモ隊の声も、羊飼いには届かない。「メーメー、メーメー」と訴えるが、届かない。というか、そもそもの矛先が違っていそうだ。残念ながら、国会の中に羊飼いは居ない。


 冷めたコーヒーをすする。すっかり日が暮れ始めている。この倍の倍くらい書いたが、まとめきれないし、私のカートも木材も撤去されていないか心配である。そして、こんなでっち上げ紛いな事を書きなぐったところで、誰もいい気分はするまい。でもいいのだ。私は表現者でもあるのだ。


 


 大瀧さんが息を引き取ったあの日の夕焼けは綺麗だった。12月の日没は5時頃だから、きっと大瀧さんが逝く少し前かな。横田基地の向こうに沈む夕陽は、大瀧さんの刻む最後の時を、美しく照らしていた。


 「春よ来い」


 大瀧さんのシャウトを勝手に深読みして、ぐっとくる。

sketch/2016.1.1【私の体裁】

昨夕から取り掛かっていた大工仕事をしながら思う。『二面性を美しくユーモアに描く』って言ってもなぁ。何やら新年早々雲行きが怪しい。毎日毎日そんな壮大なスペクタクルが書けるはずが無いし『美しい』というのが引っかかる。美しさとユーモアの融合は難しいとか思いながら頭を悩ますが、『これは今日じゃないと書かないな』という題材が浮かんだ。


 「突然だが、今日から私はフリーランスだ。」


 のらりくらりと月日を過ごし、運良く新しい事務所が見つかれば「移籍します!」などと体裁良くするつもりであった。落ち着くまでは窓口やHPの管理も今のままなので、しれっとしてれば良い話である。そもそも、ミュージックファンには事務所がどこであろうが関係ないはずだし、どうでも良い話である。


 さて、なぜ事務所を辞めるのかについても、私の体裁も、ここに記すことは違うだろうから、控える。


 ただ、はっきりしている事は、TIME STREAMシリーズは続くし、私はこの一年で大きく成長したつもりでいる。そもそも、セルフマネージメントであったならば、弾き語りの作品を出すなど、思い浮かばなかっただろう。それも1年で4枚とか笑ける。(実際、周りのミュージシャンに仰天された)


 それを大真面目に提案してくれ、やろうとしてくれた事務所に、私はこれから一生かけて恩返しをしていこうと思っている。残りの二枚を完成させたら、恐らくもう弾き語りアルバムを作る機会は、よっぽど熱烈な協力者が現れない限り、有り得ないだろう。有ってもお断りするかもしれない。(しかし今後次第では、味を占めて作り続けるかもしれない。)


 人生の中で、長い時間をかけて私を育んでくれる人がたまに現れる。しかもその人達の殆どは、私に傷跡を残して去って行き、私はいつまでもそれに恩を感じるのだ。『くそ~』と思いながらも。時々成長している自分を見つけては、感謝をする。


 私たちは、音楽と生活している。運良く大金が舞い込めば、また良い音楽を生み出す為に使うだろう。私はまず、ハワイへいくだろう。


 「人を幸せに出来るミュージシャンになりたい。」(制作側にも、オーディエンスにも)大金を稼ぐ、ミュージシャンになりたいし、その為にはやりたくない。あべこべもいいとこであるが、実際あべこべなのだから仕方あるまい。


 


 女優の田中裕子と、ジュリーこと沢田研二夫妻がカウンターの奥に見える。


 安っぽい赤提灯の店はとても芸能人が来そうにない佇まいだ。ジュリー、田中裕子、社長、私、マネージャーの塚本の順でカウンターに横並びだ。


 こちらを向いている社長がもっている煙草の副流煙が、さっきから田中裕子にもろかぶりで、彼女はとても煙たそうだ。社長は気づいていないけれど、私は言えない。こちらに気を使って煙草を持つ手を後ろにそらしているので、なおさら言えない。ジュリーは、もう1人の男性との話に夢中で嫁の緊急事態に気づいていない。私はジュリーだと気づけなかった。塚本はすべてに気づいていたらしい。社長は誰にも気がついていなかった。そして、こんな事を言っていた。


 「オーケストラとボーカルだけってのを、笹倉君でやりたいんだよね。」(いつか本当にやってみたい。)


 去年の師走のことである。いや、もう一昨年の、だ。


 マネージャーの塚本は黙って傍にいてくれている。


 見守っていてくれる人、そしてちょっとした痛みを残して去ってゆく人。


 私にとっては、どちらも恩人だ。


 なぜ事務所を辞めるのかについては、ここに記すことは違うだろうから、控える。


 私の体裁はといえば、精一杯この文章の中に詰め込んでしまった気がする。


 相変わらず私の人生には、別れが絶えない。2016年の元旦である。